きょう考えたこと

テレワークに想う

うらみわびの【きょう考えたこと】第28回

私は以前は教師として働いていたので、いわゆるサラリーマンとは少し違う職場感覚があるように思う。具体的にはメインフィールドがオフィスではなく、教場であるので、同僚とのコミュニケーションの取り方や業務の時間設定の仕組みの面や感覚の面が大きくことなっているように思える。

また、教育を一種のサービス業と無理やり位置付けるならば、サービスの対象が生徒である。しかし、それはサービスの直接の受け手という意味であり、サービスに対する対価を払っているのは親御さんである。このサービスの対価を払う者とサービスを受ける者が異なるのが教育の特徴の一つといえる。

さて、今回のコロナウイルスの影響は医療だけにとどまらず、雇用形態にも影響を及ぼしていることが世間で注目されている。私は今回のコロナによって世界はもとより、日本の雇用の在り方が問われている、と感じている。これを機に私もこれからの雇用の在り方を曲りなりにも模索していきたいと考えている。

 テレワークにおける課題

テレワークによる働き方の大きな変化は働くフィールドが人が集まるオフィスから単独の家や貸しスペースで行われる、ということだろう。これにより同僚や上司と顔を突き合わせて仕事を行う機会が減る。多人数で同時進行の作業や企画などは作業効率が下がることが予想される。

実際に2021年6月に行われた内閣府の調査(※1)ではテレワークを経験した人の47.6%がテレワークは今後は継続困難である、と回答している。確かに、テレワークではできないことも多いだろう。紙ベースの書類に押印をしなければならない制度があるからだ。制度が変わらない以上、テレワークのうまみを引き出すのは難しい。

※1:当該調査のネット上のページは2022年4月16日現在、閲覧できなくなっていることを確認しました。

ここがテレワークの限界なのだろうか。私はそのようには思わない。先ほどの押印の問題は制度上の問題である。実際に人が印鑑で押印するのではなく、電子証明の技術を用いれば、わざわざ人が押印の為に出社しなくてもいいのではないか。これは見た目以上に大きな問題だ。日本の印鑑文化は古来より根付いている。文化を変えるには相当の検討と勇気が必要だ。文化は一定の良い点に裏付けされてもいる。技術の革新と制度の慎重な検討が求められる。

また、これまで対面で行ってきた業務もリモートで行えるのではないか。例えば、顧客への営業はオンライン会議システムを用いても行うことができる。実際に顧客からの反応は思いのほか良好である、という声も聞いたことがある。上司との打ち合わせや共同作業も同じく会議システムやクラウドシステムを使えば比較的ストレスなく行うことができるのでないか。問題は顧客の個人情報をどのように管理するかであろう。

テレワークを行うにあたって、克服しなければいけない課題がある。それは労務管理の刷新だ。これまで、従業員の給料は単位期間あたりの労働時間をもとに算出されてきた。しかし、在宅などでの勤務が多いテレワークでは従業員がどれだけの時間、労務に服していたかを確認するのが難しい。

私の感覚では、テレワークは業務の効率化につながると思っている。おなじ仕事の内容なら、これまでよりも労働時間を短縮できるだろう。しかし、労務時間で給料が決まってしまう現行の労務管理制度では、短縮された労働時間の分、給料が安く算出されてしまう。

「短縮された分、他の業務をやればいい」という意見もあるだろう。しかし、それではテレワークの意味が薄れてしまうように感じる。テレワークの意義は私たちの日々の時間の創出にある、と考える。

例えば、私たちがこれまで行ってきた業務の内容を精査して、業務量や必要なスキルに合わせてポイントを割り振っていくのはどうだろうか。労働者はこなした業務の内容に応じてポイントを獲得し、単位期間ごとの獲得ポイントに応じて給料を計算するのである。このようにすることによって、労働時間ではなく、業務内容によって給料を算出できる。

この提案には3つの欠点がある。一つ目労働時間の把握だ。これまでの労務管理はタイムカードで労働時間を管理しながら、給料の算出を行う、という2つの役割を同時に行ってきた。しかし、テレワークは会社に出社するケースが減るため、これまでのようにタイムカードで労働時間を管理することはできない。

 二つ目の問題は時間外労働の増加の懸念である。これは一つ目の問題と共通しているが、労働時間を第三者が適切に把握できないため、労働者本人による時間外労働、上司同僚による本来の労働時間外の労働の強要が起きてもおかしくはない。

これらの問題の解決のカギは適切な労働時間の把握の方法にある。現在はパソコンのログイン履歴から労働時間を割り出す方法もあるという。労働者が記録に残らない長時間労働に陥らないような取り組みが求められる。

私も経験があるが、これまでの労働がタイムカードの記録に残らない時間外労働によって成り立ってきた節もあるように思える。もし、そのような行為が横行していて、それによって今の日本社会がなりたっているとしたら……。今回のテレワーク導入を機に、このような長時間労働の抑制を取り組むべきではないだろうか。

3つ目収入の不安定化である。フリーランスのギグエコノミーほど深刻とはならないだろうが、労働時間に担保されない収入は月々により不安定となることが予想される。これは労働が結果主義に陥ってしまうとも換言できる。私たちはさらに結果を追い求めて労働を行うことになり、結果的に利益として現れないサービスが縮小していく可能性がある。

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それだけでなく、月によりまちまちな収入は年金や健康保険の保険料および給付額にも影響を与える。私たちは収入面でこれまで以上にひやひやしながら働かなくてはならなくなるかもしれない。

ここで、一つ打開案を示すとすれば、先ほどのポイント制の給料とは別に、ベースとなる給料を設定しておくことである。あらかじめ、必ず入る一定の給料が担保されているのであれば、労働者は安心して自らの業務に励める、と考える。

 テレワークが目指すもの

テレワークによる業務生産性の低下はテレワークにとって向かい風だ。しかし、テレワークがもたらすものは私たちが今、追い求めているものと一致していると私は考えている。

それは私たち一人一人の幸福である。具体的には幸福をもたらす、私たちの心のゆとりであり、時間の余裕である。 私たちは一日のうち、あまりにも仕事に拘束され過ぎている。かねてよりWork as Lifeと叫ばれてきたが、これは仕事を生活の中に溶け込ませる考え方だ。「好きを仕事にする」ことが私たちの幸福への鍵だと考えられてきた。この考え方はあながち間違ってはいないだろう。

しかし、私たちは仕事に疲れすぎた。今後多くの人に求められるのは仕事と私生活を分ける考え方、Work Life Balanceだと私は考える。これは現代における思考の逆戻りかもしれない。それでも原点回帰も悪くはない。

もともと人間は生きるために働いてきた。資本主義になってからも人々は金を稼ぐために働いた。Work as lifeが提唱されるのは、少子化の影響もあり、定年が先延ばしにされるなか、一生のほとんどを働かなけらばならない、という若者の現実がある、と認識している。

しかし、働くことで心身をこわしているようでは元の子もない。私たちに求められているのは自分の時間である。そして仕事が私たちに幸福をもたらす、という幻想から解き放たれるべきだ。仕事を心のそこから愛している人は我々の半分もいないのではないか。だとしたら、私たちの一生の大半を仕事に費やすのはもったいない。

これは決して、仕事を適当に終わらせるとか、仕事に熱心に取り組まなくてよい、という考えではない。仕事とプライベートを明確に分ける、ということの提唱である。テレワークはこれを可能にしてくれると信じている。

実際にテレワークを導入して家族との時間が増えた人は多い。先ほどの内閣府の調査では、家族と過ごす時間が増えた、と答えた人は全体の70.3%、テレワークを導入した人では77.7%にも及んだ。さらに今後も家族と過ごす時間を保ちたいと思うか、という質問には、全体の81.9%が保ちたい、と回答している。テレワークの導入が家族との時間を創出し、さらには家庭の時間が増えることで、幸せな時間が増えることとなるだろう。(もちろん、ここには家庭における幸せの在り方がある。必ずしも家庭の時間が幸せなものとなるかはわからない。しかし、そこには私たち個人個人の幸福になる力量が試されている、といえるだろう。)

個人の場合も同様である。個人の時間が増えることは、リフレッシュの時間が触れることを意味する。このように、私たちが幸せになるための時間がつくれるのであれば、テレワークも悪いものではないだろう。

テレワークは私たちに時間と心の余裕をもたらしてくれる意味で有意義なものである。しかしながら、労働者全員がこの体制に移行できるわけではない。内閣府の同調査では、今後のテレワーク継続希望者は全体の26.3%にとどまり、テレワークは困難、と答えた人は全体の47.6%にも及ぶ。

特にサービス業や運輸業などは業務の性質上、テレワークになじまない。こうした業種は今後も職場出勤や対面での業務が続くことが予想される。また、前述の通り、労務管理や慣行上の課題もある。いずれにせよ、業務内容のスリム化は求められる。

そして消費者の側から考えると、これまで当たり前のように享受してきたサービスが、労働者の行き過ぎた努力によってもたらされている可能性についても思慮する必要があるだろう。痛みを伴わない改革はない。コロナはこれを否が応でも社会に行わせようとしてきた。前例にとらわれず、試行錯誤しながら、よりよい社会を創造していけたら、と考えている。

きょうも皆さんが幸せでありますように

本が好き!