オーストラリア政府が今後10年間で国防分野関連費を20兆円分支出するとのことです。これは従来の計画の約4割増なのだとか。インド太平洋地域における懸念は私も承知しています。そんななか、今年も日本で平和について考える時期がやってきました。現在の環境に安住することなく、世界全体が安心と希望のなかで生きていくことを願っています。
うらみわびの【この本がおもしろい!】第26回
清原和博『薬物依存症』
価格:1,650円 |
勝手に評価表 | |
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内容 | ★★☆☆☆ |
難しさ | ★☆☆☆☆ |
価格 | ★★☆☆☆ |
どんな本?
2016年、野球界で数々の記録を打ち立てた清原和博は覚せい剤取締法違反によって有罪判決を受ける。2020年、執行猶予満了を迎える彼は浮かない顔をしていた。執行猶予が開けなければ、と思っている。そこには終わりの見えない薬物依存症ともうひとつ、うつ病との闘いがあった。彼がこの4年間、何を想い、何をしてきたのか、そして彼がどのように変わってきたのか、が本人の言葉を通して描かれています。本人との対談を通して書き下ろされた実録。
ここに注目!
本書は薬物依存の恐ろしさが生々しく綴られているが、内容はそれにとどまらない。それに付随する精神病、「うつ病」。依存症は本人の「意志」の問題だ、と片付けられてしまうことがあるが、そうではないのではないか。そう思わせるところが本書にはある。依存症は本人だけの問題なのか。依存症の人を周りはどう支えればいいのか。本書からはこれらを考える材料を提供してくれている。
息子のために
本書では清原さんの胸の内が赤裸々に語られていて、薬物依存症の恐ろしさを改めて感じたとともに、これまでは想像できなかった葛藤があることを知った。私が一番強く感じたことは、薬物をはじめとした依存症は誰にでもなる可能性があり、依存症になっとことがストレートに意志の弱い人間と同義にはならない、ということである。
私が野球に興味を持ったのはここ数年のことなので、正直、清原さんが活躍されていたときのイメージは薄い。なんとなくホームランバッターでチャラい人、というイメージ。そんななかで印象に残っているのはテレビのバラエティー番組。清原さんが桑田真澄さんと野球で対決する、という内容だった。かつて甲子園を沸かせたPL学園のKKコンビだ。清原さんがバッターで桑田さんがピッチャー。東京ドームでの対決。客席には清原さんの息子さんと奥さんが来ていた。当初は3打席勝負で清原さんがホームランを打ったら勝ち、だったかな? 覚えているのは、清原さんが3打席で結果を残せかったが、結果を出すまで勝負を望んだこと。そしてそれを応援する息子の声。
実は清原さんは当時、小指をはく離骨折しており、バットをまともに握れない状態だった。そんな状態でも彼はバットを握った。これはまぎれもなく息子に父親のかっこいい姿を見せる為だったのだろう。私も固唾をのんで見守った記憶がある。
彼が覚せい剤使用容疑で捕まったのはそれから数年後だったろうか。衝撃を受けたことを覚えている。「息子がいながら・・・」そう私は思いながら、この家族の行く末を案じた。
完璧主義
ホームランバッターであり続けたい
なぜ、彼は覚せい剤に手を出してしまったのか。私も当初は興味半分で手を出したのではないか、と考えていた。しかし、本書を読んで、別の可能性があることを知った。それは本人の完璧主義という性格だ。これは意思の弱さ、とは対極にあるものだ。
清原さんは野球に対して常にひたむきだった。もしかしたら野球をやっている「自分」にひたむきだったのかもしれない。野球はチームスポーツだ。残せる結果はホームランだけではない。ヒットを打つことも犠打を打つことでもチームに貢献できる。しかし、彼はホームランにこだわった。それ以外の結果は望まなかった。そしてホームランバッターであり続けることが彼自身を高めると同時に彼自身をつなぎとめる唯一の方法だったのだ。
彼のストイックな性格は依存症の治療の過程にも表れている。彼は再び甲子園に足を運ぶことを目標にしていた。甲子園球場に行くだけなら簡単ではある。メンタル面を回復させればよいからだ。しかし、彼はかつてのホームランバッターであった自分の肉体を取り戻してでないと意味がない、と考え、自らを厳しいトレーニングを科していた。
空白
そんな彼の転機はプロ野球からの引退だったのは間違いない。本書では引退試合の様子も語られている。彼は最後まで息子にホームランを見せたくて必死だったことがうかがえる。引退後は彼を支えるものがなくなった。それが彼の心に大きな空白を生み、薬物という一瞬の快楽に手を出すきっかけとなる。
引退後の彼にとって一番の空白は「打ち込めること」がなかった、ということだ。子育てがあるだろう、と思うこともあるかもしれないが、子育てや幸せな家庭が必ずしも幸せをもたらすわけではない。むしろ幸せな家庭は目的であり、そのためにあらゆる試行錯誤を家族各人が行っていくのではないだろうか。
とにかく、彼には打ち込めるものがなかった。さらに言えば、プロ野球のスター、それに釣り合うものなど見つからなかったのだ。
人生は続いていく。幸せに生き続ける為には、人間は生きる希望を持ち続けなければならない。しかし、仕事や趣味、一生続くものはなかなかない。だから、私たちは希望を紡いでいかなければならない。若いうちや仕事の第一線にいるときはなかなかこの考えには至らない。でも、そのときになってからでは遅いのかもしれない。希望を失った時の喪失感に押しつぶされてしまうからだ。
空白を埋めるには
私は次の2つを提案したい。1つは、趣味を複数持つことだ。財布は複数あると心強い。海外に行くときは盗難があるのでなおさらだ。最近では、携帯電話が財布代わりになるが、電源切れという弱点があるので、その必要性は増しているといえよう。趣味についても同じである。1つを失くしてももう1つがあればこころ強い。これは私だけかもしれないが、日によってやりたいことが異なる。とても飽き性なのだ。そんな私にとって、本を読んだり、アニメを見たり、ゲームしたり、登山をしたり、たくさんの趣味が生活を支えてくれている。
これに対しては1つの反論が予想される。メンタルが押しつぶされたとき、私たちは何もする気力がない、ということだ。趣味すらも…。これは本当だ。人は希望があるから生きられる、これは真のようで、必ずしも真ではない。逆に、生きられるから希望がある、という言い方もできる。メンタルの衰弱はあらゆる思考、行動を制限する。これを克服するために、できることは1つしかない。「休む」ことだ。幸せは心で感じる。心が健全でない限りはなにをやっても無駄である。したがって、踏み込んでいえば、「笑うことで幸せになる」のではなく、「幸せだから笑う」といえる。これは「笑う」ことを否定するわけではない。「笑う」ことは義務ではなく、「権利」である、と私は考える。だから私は、落ち込んだ人に「笑え」とは決して言わない。本人が笑いたくても「笑えない」ことを知っているからだ。
したがって、複数の趣味を持つということは、本質的な策であるが、精神的に崩壊した際には歯が立たない、ということを申し添えておく。
2つ目の策としては、小さな幸せを知る、ということである。私は時々思う。人間、本質的なものは変わっていないように思う。それでもなぜ、子どものときに道端の自然に感動できたのに、大人になると感動できなくなってしまうのだろうか。ジュースを飲めることが幸せだったのに、酒で酔わないとやっていられなくなってしまうのだろうか、と。どうやら大人になると、幸せのハードルが上がるようである。この意味では「成長した」とは決して感じられない。
周りの環境はさして変わっていない。自然は淡々と続いている。問題は人間側にあるようだ。小さな幸せ、子どもの心に戻ることが、幸せを手にする鍵なのではないだろうか、と私は思う。
具体的には、ちょっと散歩に出てみて、深呼吸して味わった空気の味、道端の草花、生活音、行きかう車の様子、地面の起伏など、いままでは気にも留めなかったものに目が行くはずだ。他にも、一日を何不自由なく生きられたこと自体に感謝する、「普通」に感謝する。不幸なニュースがなかったことに安堵する、だれかの幸せを願うこと、そんな身近で感じられることが幸せなんだと思えること、それが大切なのではないだろうか。
末期がんの患者の最後の願いをかなえる活動をしているフェルドプールさんは、「どんなに小さいと思える願いこそ美しいと思うようになった」と自身の活動を振り返る。幸せの定義は多様であるが、一つ、生きていると実感できること、と言えるかもしれない。