きょう考えたこと

いつでも学びなおせる社会へ

 今朝の読売新聞の朝刊の記事に興味深い記事があった。最近では葬儀の際にオンラインで遠く離れた家族も葬儀に参加できるようになっているところがあるという。昨年、私はテレビ番組で、ドライブスルー葬儀なるものを見たとき、驚きと「これは浸透しないだろうな」と思ったことを覚えてる。昨今の状況もあるのだろう。今では違和感はなく、新たなオプションの登場を感じさせられた。

うらみわびの「きょう考えたこと」

第2回。

(以下、前回の記事の続きです)

では、経験を学ぶにはどうしたらよいか。
その答えは明確であろう。たくさん挑戦し、失敗することである。

 世の中には「若いうちに失敗したほうがよい」といったことが言われている。私も前の職場の上司に注意を受けた際に「君はまだ若いからうらやましいよ」と言われたことがある。
 しかし、若ければいいのだろうか。こう言うのには2つの理由がある。
 1つ目は、若くても許されない過ちというのもある、ということである。極端ではあるが殺人や放火といった犯罪の類は年齢に関係なく悪い。
 2つ目は、年齢に関係なく学びの機会は均等にある、と考えるからである。これからの時代は職業一つをとってもずっと同じものを続ける、ということが一般的ではなくなってきているように感じる。そこで私たちは、人生のあらゆる場面で新たなことに挑戦する学びなおす機会が訪れる。当然高年齢において新たな学びを行うことも出てくる。ここまで想定すると、若いうちに失敗したほうがいい、というような年齢において失敗の許容範囲を決める考え方は古いと言わざるを得ない。したがってあらたな基準を設ける必要がある。
 それは人生のあらゆる場面で学びなおせる、という非常にシンプルなものだ。学びには知識と経験が得られ、特に経験を得るには失敗が必要であることは前述した。したがってこの基準は「私たちは人生のあらゆる場面で失敗できる」、とも言い換えられる。

 これからの時代は技術こそ進歩するが、それによって学びの少ない者は社会からはじき出されかねない。これからの時代に求められるのは、人生のあらゆる場面で学びなおす個人の姿勢と学びなおす人々を温かく見守る寛容な態度ではないだろうか。我々は何かしらにおいては皆初心者なのだから。