逆境との向き合い方
商人にも道徳教育が必要である。なぜなら商売にこそ社会的視点や道徳心が必要だからである、というのが本書における渋沢氏の主な主張である。
加えて教育というシステム上の事だけでなく、商売を志す者自らが学ぶ姿勢が大切であることは言うまでもない。
――私が考えるに、商売においても何においても、”経験”がものをいう、と思う。そして”経験”を成すものとして大きなものが”失敗”である。
”失敗”から私たちがどれだけのことを学べるのか。それは失敗、殊に逆境における悩ましく、ときに悔しい出来事との向き合い方にある、と考える。
逆境の2種
逆境には2種類ある、と渋沢氏はいう。
・自然的逆境 ・・・ 私たちのコントロールできないもの。自然発生する。
・人為的逆境 ・・・ 私たちの思考・判断でコントロールできるもの。
本書において、両者の違いは少し曖昧さが残るように感じるが、解釈するに、肝要なのは私たち意思ではどうにもならない逆境に対しての私たちの”受け止め方”の問題である、といえるだろう。
”逆境”が私たちを苦しめる所以をストレスに求めるとする。すると私たちの仕事において特にストレスが発生するのは人間関係だ、と考える。
仕事においても人間関係というものは複雑である。日本人には相手の考えを予め予想して先回りした行動をとる、といった文化的・雰囲気的きらいがある。相手の心が読めない、という辛さがそこにある。ストレートに「あなたは今、何を考えていますか」って大っぴらに聞けたら楽なんだけどね。
さらに職場では同僚のあの人とつながりのあるあの人、という自らとは直接仕事上の繋がりのない人の失敗の尻拭いをさせられることもある。自分の失敗じゃない失態を顧客に対して組織として詫びなければならない、という立場の人もいる。
以上の場合、特に後者の場合はもはや自分一人で問題を回避するなんていうことは不可能であることは明らかである。
ここで私たちに求められるのはただ”最善を尽くす”ということのみである。いわゆる「善処」すればいい。たとえ結果が芳しくなくても仕方がない。なぜならそれは自らが完全にコントロールできない逆境だから。
しかし、私たちが”逆境”にストレスを感じるのは”逆境”における自らの行動の結果をどうしても悪い方向に捉えてしまうから、ではないだろうか。私がそうなのであるが、物事の結果を「良い」、「悪い」の2つでカテゴリ分けしてしまう癖がある。
仕事において小さな失敗は日常茶飯事である。慣れない仕事ならなおさらである。しかし、私の中では小さな失敗も大きな失敗も同程度の”反省すべき”失敗なのである。
文字に起こすともっともな考えのようにも感じられるが、この”反省癖”というのも考えものである。なぜなら、あまりに小さなミスで反省するのは自らのメンタルを追い詰めることになるから。
ここでの小さなミスは、先ほどの自然的逆境=自らコントロール不能な逆境 も含まれる。自然的逆境に一喜一憂しすぎるのは問題である。
思い起こせば、私の人生における逆境は(大きさの大小はあれ)、自らの心が、思考が作り出した人為的逆境がほとんどではないのか、という境地に達する。
もしかしたら、私たちは自ら逆境を作り出して、心を削る”負のスパイラル”に陥っているのかもしれない。
渋沢氏はいう。「世の中の多くのことは自働的である。自分の頑張り次第でどうにかなる。多くの人が自ら幸福となる運命を招こうとはせず、かえって故意に逆境を招いてしまっている」と。
ここでいう「自働的」とは広い意味で逆境への「捉え方」も含まれる、と解釈する。ある意味で逆境を逆境と思わない柔軟な心も必要なのではないだろうか。まあ、これが難しいんだけれどもね。
成功する人とはどのような人か
さてさて、『論語と算盤』ではこのような万人共通の話題も扱っています。
ずばり
どうやったら成功する?
本書ではいくつかの側面から取り上げています。
志と所作
所作が機敏で忠実であれば、成功する。人の信用を勝ち取れるから。
――これはよくわかります。所作が、手際が良い人は仕事ができる人でしょう。
でも、人間たるもの、所作だけでは測れないものがある。
それが心!
志が清く正しくても所作が行き届いていないと成功しない。
つまり、言い方は悪いですが「やる気がある無能はポンコツ」ということを暗に示しています。これはグサリとくるな。私はやる気重視の大器晩成型を自称していますので。それはそれでいい、と思うんだけどなぁ。
おもしろいのは、以上より、誠実な心をもっていなくても所作がしっかりしている人が少なくない、という事実。「あいつ性格悪いけど仕事はできるんだよなぁ」という人がいる。悔しいけど、これは認めなければならない事実。「仕事の結果」という唯一の尺度で測られたら”やる気”なんて関係ありませんから。結果が全て。
もちろん、道徳心が商売においても必要である、と考えるのですが、ここから見えてくるものがあります。つまり、道徳心だけじゃだめだ、ということ。仕事は結果があって初めて評価されるということ。成功するということ。
所作は知識の結晶といえる。知識の実践が仕事であり、知識を具体化したものがひとつひとつの所作である。レストランの給仕ひとつとっても、客を快くさせる給仕の所作は一言では言い表せないものがある。身のこなし、手指の動きひとつとっても、様々な理論、経験則の賜物である。
気を付けなければならないのは知識を蓄えて仕事ができるようになった、と錯覚してしまうことである。知識はあくまでもルールブックであって、知識の実践=経験 なしには仕事の成功とはいえない。
したがって、仕事で成功するためには十分な知識のうえでの実践が必要。加えて失敗を恐れない姿勢が求められる。
――この論になると度々思うのであるが、実践が肝要である、という事実のあまり知識を軽視する傾向が見受けられる。私は知識こそ仕事の成功において真に大切なことである、と考える。知識は武器であり、防具である。十分な準備無しに戦に挑むのは自殺行為。知識を無下に扱ってはならない、と思うのである。
青年時代をどう過ごすか
人生で、仕事で成功するには青年時代をどう過ごすかが大切である。渋沢氏は青年時代から失敗を恐れず果敢に挑戦すること、を掲げている。青年時代を失敗を恐れて保守的になるようでは「到底見込みのない者」と突き放すほどである。
失敗からはかえって多くのものが得られる。失敗から学ぶものは多い。そこから対処法を学ぶことができるからである。
いかにして若いうちに失敗から知識と経験が得られるかが成功の鍵である。
――デジタルの分野では、アプリなどで”バグ・フィックス”が度々行われる。
・バグフィックス ・・・ プログラムなどのおかしなところを直すこと
最近では厚生労働省が主導して開発した非接触型アプリ『COCOA』がアンドロイド携帯で正常に機能しなかった、という問題が指摘された。
当初より厚労省のアプリ開発のずさんさが指摘されたが、ここで論点をはき違えないように注意したい、と考える。つまり、この件で問題なのは、厚労省がアプリの問題が発覚してから適切なバグ・フィックスを行うまで、問題を公表するまでに時間がかかり過ぎたこと、である。
システム上、バグ(問題点)は必ず発生する。バグがあること自体は問題ではない。問題を0にしようとする姿勢は大切だ。しかし、その姿勢の行き過ぎは潔癖症というほかない。
システムの面において(人生においてもそうであるが)、問題があること自体は問題ではない。それを早急に治すことが大切である。
もちろん、避けなければならない問題もある。先日のみずほ銀行のATMの件がそれである。”問題の規模”という尺度も加えると議論が少し複雑になる。いずれにせよ問題が起こること自体は想定済みなのである。
まとめると、バグ・フィックスにおいて問題が起こること自体は自然なことである。システム管理者に求められるのは問題を迅速に発見し、対処すること。加えて問題を想定することである。
これは人生においてもいえる。挑戦して失敗することは当たり前である。
他方、失敗はいけないこと、と判断して挑戦をしないことこそ失敗である。有能なシステムは度重なるバグ・フィックスの上に成り立っている。つまり、失敗は成功の糧であることを示してくれているのである。
平凡を脱せよ
大雑把に分けて世の中には有能な人と凡人がいる。多くの人が有能な人を目指すことは大いに結構。
しかし、有能を目指す凡人が多いこともまた事実だろう。ここで渋沢氏は指摘する。成功を望む全ての人が大きな大きな成長を目指せ、と。
ただ、かかる秩序立ち、一般に教育が普及した時代ゆえ、普通より少しぐらい進歩し、僅かに卓越した意気込みをもってことに当たっては、とても大勢を動かすことはできない。
(同上)
明治維新後の日本では教育の水準が大幅に上がった、といえよう。これまでの庶民の寺子屋教育に加え、郵便配達区域を参考にして整備された学区ごとに初等・中等学校。大学、そして先生を養成する師範学校もつくられた。このようにして万人に学び屋への道が開かれた。同時にこれは教育の平等ともいえるメリットをもたらした。
これは言い方をかえれば”均一的な教育”ともいえる。均一的な教育には落とし穴がある。
均一的な教育では誰でも同じくらいの学力はつく。しかしながら、集団の中で抜きんでるには学校教育だけでは不十分である。なぜなら学校ではクラスの皆が同じくらいの学力をもつことになるから。ここで個人の学習努力が求められるのである。
それは書物を読むことしかり、何かに挑戦することしかりである。渋沢氏がいいたいのは、このような”個人の努力”だといえよう。
自分から食らいつく
社会で、人生で成功するには”個人の努力”が必要な時代である。しかしながら、これだけでは不十分であることが多々ある。つまるところ、社会で成功するには1人では難しい。その能力を誰かに認めてもらう、師匠が必要である。では、その師匠とはどのようにして出会うか。
渋沢氏いわく、光る能力があれば、向こうが黙っていないが、最近では人が多い。したがって、自分から有能な師匠に素質を見いだされる努力をしなければならない、という。同氏の言葉を借りれば「自ら箸を取らなければ」成功しない、ということだ。
300を超える事業を立ち上げた実業家、渋沢栄一氏。
彼の生涯で育まれた教訓が詰まった著書『論語と算盤』。
本書は単なる実業家向けのHow to本ではなく、万人が読むに値する人生の良書である。
ページ数からすると本当に内容の濃い、筆者の思考のエッセンスが詰まった、エクストラバージンな一冊でした。
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