うらみわびの【きょうかんがえたこと】第8回
人を殴ることを知っている人ほどむやみに人を殴らないものである。
また、殴る力の加減も知っているものだ。
新しいことを始めるときには、知識から入るべきか、実践から入るべきか。
これは自動車学校における生徒の自己計画をみるとわかりやすい。
座学で知識を固める人もいれば、まずはハンドルを握ってみる、という人もいる。学びの進め方はひとそれぞれである。
それでも効率的な学びを求めるのが人間であり、懐疑的だから自らの学びの方法が間違っているのでは、とかんぐるのも人間である。
知識についていえば、はたして知識の広がり、真理の探究にいかほどの意味があるだろうか。
果たして、それは私たちが自らの人生の時間を費やしてまで探求するに足るものなのだろうか。
哲学にはまり、循環的な思考に慣れてしまうことはおそろしい。
それは答えに近づいているようで決して近づいていないからである。
悩みことになれてしまって、悩むことに悩んでいることが多々ある。
悩むことに疲れたとき、気付くのである。
「難しく考えるのはよくない」と。
世の中にはもっとシンプルに考え、気楽に生きている人がいる。
シンプルな考えは、見た目は単純だが、そこに至るプロセスや中身は深い。
事典を調べてみると、難しい言葉ほどよく見つかる。
反対に簡単な言葉、たとえば「言葉」という語を「説明せよ」と言われても、短くその真理を述べることはできない。
反対に難しい言葉ほど説明が簡単だったりする。類義語が存在するからである。取って替わる存在がいるのである。
シンプルな言葉とは、それに取って替わる語たちを排した語である、といえる。
つまり、余分な意味を削ぎ落した唯一無二の存在である。
ここで大切なのは、語が作られる順序である。
語は、その意味が突然、なにもないところから湧き上がるものではない。
様々な意味を持つ、語があらわす対象物が多々ある語が、派生していき、意味と対象物が細分化されていくのだ。
肥大ではなく、細分化。これこそが語の広がりのメカニズムである。
そして、この”細分化”こそが”シンプル化”の骨頂であり、私たちが目指すものである、と信じている。
知識でも、スポーツでもそうであるが、私たちが何かを「得よう」としているのなら、”シンプル化”を目指そう。
”シンプル化”とは引き算である。引き算のためにはまずは足していかなくてはならない。
だからこそ、まずは何事もやってみることが大切なのである。
はじめから正解を求めてはいけない。なぜなら、ここでの目的は足し算であるからだ。失敗こそ実は求められることなのである。
引き算は自らが犯した”失敗”をもとに行われる。引き算を通して考えも身体の動きもシンプル化していく。
シンプル化には罠がある。
そのアイデア自体がシンプルであるがゆえに、その獲得に至るプロセルもシンプルである、と錯覚してしまうことである。
しかし、本質はその逆である。シンプル化とは蓄積されたデータから余分な部分をそぎ落とす”引き算”の上に成り立っているのだ。
「~し過ぎるのはよくない」といわれる。
しかし、「~し過ぎる」からこそ「ちょうどいい」加減を知ることができる。
やりすぎは実は私たちにとっていい薬であったりするのだ。
今日も皆さんが幸せでありますように
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