うらみわびの【この本がおもしろい!】第9回
午前中に本を1冊読み終えて、カモミールティーを飲んだらそのまま爆睡してしまいました。カモミールおそるべし!
中川翔子さんと「いじめ」というワードは切っても切り離せないものになっている気がします。
一方で彼女の明るい人柄から、そんなことを感じさせない魅力もあります。私が子供の頃は、中川さんは「ポケモンのお姉さん」っていうイメージでした。『ポケモンサンデー』なんかはよく見ました。
最近では、2020オリンピック・パラリンピック競技大会マスコット審査員も務められています。そんな中川さんの普段の明るい性格とはかけ離れた壮絶な人生がここには書かれています。
「いじめ」をキーワードにした著書はたくさん出回っていますが、この本はあくまでも「いじめと向き合いながらどう生きていくか」というところに焦点を当てています。
著者は自身の壮絶ないじめ体験を手書きのマンガを交えながら平易な文章で綴っていきます。また自身の経験したいじめと現代のいじめの違いをインタビューを通して浮かび上がらせていきます。
ところどころに著者の魂がこもった言葉がちりばめられていて、こころに刺さるものがあります。
この本は主にいじめに苦しんでいる人に向けて書かれていますが、いじめに苦しんでいる子供の親、精神的に苦しい人、さらには人間同士の付き合いに苦しんでいる人が読んでも共感できるところがあると思います。
令和の新時代にいじめとどう向き合うのか、考えるきっかけをくれる1冊です。
中川翔子 著
文藝春秋(2019)
『死ぬんじゃねーぞ!!』
「死ぬんじゃねーぞ!!」 いじめられている君はゼッタイ悪くない [ 中川 翔子 ]
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勝手に評価表 | |
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ストーリー | ★★★★ |
アクション | ★ |
感動 | ★★★★ |
いじめられた人に責任があるのか
著者はこの疑問を100%否定する。
私も同意見である。人間には考え方の違いはあれど、それが他者を批判する理由にはならない。私は他者を攻撃したくなる、とりわけ集団で攻撃したくなる心理には攻撃者本人のどこかやるせない気持ちがくすぶっているように思う。
自身の実生活で不満があるから他者を攻撃したくなるのではないか。これには本人の交友関係、家庭生活等、様々な要因が複雑に絡み合っていると思われるので、解決は容易ではないが、周囲の関係者が本人の些細な行動の変化に気づいてあげられたら少しは変わると考える。
被害者・加害者だけでなく、周りにいる多くの関係者がいじめには関りがあることを認識することが肝要だ。
日本の教育システムが問題
自身の保全に必死
本書では日本のいじめが海外のそれと大きく異なる点を指摘している。それは「学級」という30人ほどの生徒と数人の教師というひとつのグループに属する、という構造である。本書では学級、つまりクラスがいじめを生んでいる点を指摘している。
私は学級というシステムは共同自治を学ぶ良いシステムであると考えていた。と同時に学生を経験した身としてある種の生きづらさも感じていた。少し私自身の話をする。
小学生の頃、私はいじめられる側もいじめる側も経験した。いじめられる辛さを知っているのに、なぜいじめをするのか。そこには加害者側に立つことで少なくともその間はいじめられずにすむ、という自己保身の考えがあったと今では考えてる。
実に身勝手な話であることは承知しているが、数人のボス格の生徒を中心として「いじめる側」と「いじめられる側」が度々入れ替わるクラス内で自身の身の安全を確保するのに必死だったような気がする。
私と教育カースト
中学生になっても私はこれまでと異なった形で自身の地位を確保しようとした。ここまでくると体格差がでてきて、力では到底かなわないことを自覚していた。
中学からは学力社会に否が応でも組み込まれる。私は勉学に励んだ。成績で上位に入ろうとした。
これには「将来の為」とか「親を喜ばせる為」とかいろいろな理由が挙げられるが、やはりカーストの上位にいたい、という思いが心のどこかにあったのだと思う。私は学級委員を3年5期務め、クラスをまとめ上げる存在になった。
高校は中高一貫校に入った。そこでも勉学に励んだ。
そこではさすがに学級委員のような表立った役職はやめておいた。高校から入った輩が出しゃばってはまずい、と思ったからだ。
私はできるだけ目立たないようにしていた。大学でもおおむねそうであった。私はカースト上位の人たちからは「あいつ陰キャだけど、付き合っておいて損はない」くらいの地位を保っていた。
(ここで、いちおう釈明しておくが、小学生高学年以降、わたしはいじめに加担していない。むしろスクールカースト関係なく様々な人と交流した。もともと上っ面だけの付き合いが苦手なので、深い交友関係を築こうとしたら、いわゆるカースト中位以下の人とつるんでいた。)
教育システム面から考える
本書を読んでいて思ったことがある。学校は教育機関であるがゆえに学習の場であるというの側面が強いと感じる。
しかし生徒は互いの人間関係に常に注意を払っており、人によっては勉強どころではない。「学習機会の均等」が近年叫ばれているが、いじめの問題が生徒の学習機会を奪っているのは明白だ。よっていじめの問題は非常に大きく、根深い。
生徒の学習機会を保証するという意味においても、いじめを撲滅する必要がある。その手段の1つとして、日本の教育システムの変革が求められているように感じる。
具体的には2つのことができると考える。1つ目は法的な拘束力を強める、ことである。現行の法律では学校においていじめの加害者を罰することが難しい。現行の刑法では14歳に満たない者の行為を罰することができない。『いじめ防止対策推進法』(平成25年法律第71号)第15条には
学校の設置者及びその設置する学校は、児童等の豊かな情操と道徳心を培い、心の通う対人交流の能力の措置を養うことがいじめの防止に資することを踏まえ、すべての教育活動を通じた道徳教育及び体験活動等の充実を図らなければならない。
と明記されているが、本法には学校や地方自治体、親の指導義務こそ書かれているが、いじめの加害者に対する具体的な対策としては「校長及び教員による懲戒」、「出席停止制度の運用」しか書かれていない。
私も教育を志していた者であるので痛感するが、現行のいじめ対策は加害者の心のケアもいじめ対策及び解決の策と考えられており、以上のような措置しか加害者に科すことしかできない。しかし、これだけでは不十分である。
第1に、いじめ被害者のケアの具体策が盛り込まれておらず、第2に、いじめが起きたことへの責任の所在が明確ではない。これでは「いじめは絶対に許されない」と社会に浸透させることなどできようか。
ちなみに海外の事例を見ると、アメリカニューヨーク州ノーストナワンダ市ではいじめの加害者の両親に罰金や禁固刑が科される。
マサチューセッツ州では、電話や電子機器による迷惑行為が「教育課程の運営を著しく妨害する行為」とされており、ネットいじめがこれに該当する。
ヨーロッパでは「市民教育(Citizenship)」とよばれる考え方があり、いじめに対して親が介入するのが一般的だ。
このように海外ではいじめに対して学校外部から強い力が働くシステムとなっている。いじめ加害者が転校させられるケースも珍しくない。
いじめを防止し生徒の教育の機会の均等を図るための具体策、2つ目は、学校に通う以外の学習スタイルを充実させることである。
学習スタイルに多様性を
現在も学校に通えない生徒が集まって学習する施設は存在する。しかしながら、それだけだとなんとも単一的な感が否めない。
いじめ被害者が自主的に学べるスタイルがあるはずである。ホームスクーリングはひとつの好例となると思う。学習者が家でネットの動画等の教材を用いて自主的に学習するシステムである。
現在の日本では法律上、ホームスクーリングでは義務教育を受けたことにはならない。しかし、学校での人間関係が苦手な人はこの方が学習に集中できる。なにより自分のペース、計画で学習が進められるので効率的だ。
ホームスクーリングが学習者の人間関係の希薄さを招く、という言説は当たらない。通信制の学校のように定期的に人が集まることも可能であるし、ネットでも趣向があった人と話し合う環境がある。さらには、様々な年齢層が集まるネット環境は年齢の近い人たちが集まる学校環境よりも多様性に富んでいるといえる。生徒の学びの1つのスタイルとして前向きに検討してみてはいかがだろうか。
今、精神的に苦しんでいる人へ
いじめに限らず現代では様々なことが要因で精神的に追い詰められている人がいる。
しかしそんな精神的被害者に対して、「やられた方も悪い」といった自己責任論に似た言動も見られる。
私はそのような言説には断固反対する。現に精神的被害者は苦しんでいる。骨折をしたスポーツ選手に「お前のあのプレーがいけなかった」と言って何になろうか。骨折を治すことに注力するべきだ。
さて、本書において筆者は自殺を計画したことを明かしている。そして自殺しなかったことを今ではよかった、と思っている。筆者は現在の自分の人生に一種の喜びを感じているのだ。
今、苦しくて死にたい、と思っている人はどうかその命を「1日、先延ばしにしてみてほしい。」。
心のケアにはいくつかのステップがある。現在の自分に責任があるように感じてしまうかもしれないが、その悩みは後に棚上げしてみてほしい。
まずは、寝る、遊ぶなりしてみて。明日になったらまた違う景色が待っているかもしれない。新しい居場所を見つけるかもしれない。いいや、あなたの居場所は必ずどこかにある。どうか、自分をいたわってあげて。
いじめは見えにくい。ただでさえ、学校で起きていることは見えにくい。教師は仕事に忙殺されていて、いじめが見えていないかもしれない。ネットでのやり取りは大人には見えない。
頼りになるのは一人一人の表情、様子、しぐさである。まわりの人たち、とりわけ大人がその変化に気づいてあげられたら、早い段階で処置をすることができる。いじめは他人事ではない。社会に生きている以上、我々すべてが関心をもっていなければいけないことなのだ。
「死ぬんじゃねーぞ!!」 いじめられている君はゼッタイ悪くない [ 中川 翔子 ] 価格:1,320円 |