うらみわびの【この本がおもしろい!】第14回
広瀬正 『マイナス・ゼロ』
集英社文庫
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勝手に評価表 | |
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ストーリー | ★★★★ |
アクション | ★★★★ |
感動 | ★★★ |
どんな本?
時は戦時中。浜田敏夫は空襲警報に際して防空壕へ避難した。なんとか空襲は収まり、壕の外へ出る敏夫であったが、ひとつ不安なことがあった。幼馴染の井沢啓子が壕の中にいなかったのだ。逃げ遅れたのだろうか。心配になった敏夫が井沢家へ行くと家には火の手が。庭へ行くと啓子の父親が倒れている。必死に助け起こそうとする敏夫であったが、そこで井沢氏は敏夫へ「ある遺言」を残す。
時は経って1968年。浜田敏夫は再び梅が丘の地へ。18年前の井沢氏の遺言を果たしにきたのである。
奇想天外なストーリー展開の日本の元祖SF小説。
作者について
本作の作者、広瀬正さんは小説家の他にジャズ・サックス奏者という肩書も持つ。経歴からすると音楽の方が先に活動を始めている人です。
デビュー作は1961年の『殺そうとした』。その4年後の1965年に同人誌『宇宙塵』に『マイナス・ゼロ』を連載します。『マイナス・ゼロ』は後に第64回直木賞候補にノミネートされます。
広瀬さんが亡くなったのは1972年。彼の葬儀には多くのSF作家が詰めかけたとか。広瀬さんの功績の大きさを物語っています。『彼の棺には「タイム・マシン搭乗者」と書かれていた』(wikipedia)とか。そう。彼はタイムマシンを題材としたSF小説の立役者でもあるのです。
ここに注目!
広瀬さんは文章がおもしろい! この一言に尽きます。浜田敏夫と井沢啓子の旅館での会話はお互いの背景知識の差を上手く利用しておもしろおかしく仕上げています。ここだけで笑える。一流のコントです。
また、文化背景を事細かく調べ上げ、作品の世界に溶け込ませるのも広瀬さんは上手い! 戦前の東京を歩く敏夫の場面を切り取ってみる。
工事場のような音がしたので、敏夫はおどろいて見上げた。音は、目の前の和光……服部時計店のビルからだった。つまり、張ったり土気店は目下工事中なのである。未完成のビルが多い。新宿から銀座へ来る間に市電の窓から見えた警視庁のとなりのビル――あとで内務省とわかった――や日本劇場も工事中だった。昭和七年はオリンピックの年だが、開催地は海の向こうのロサンゼルスだから、べつにそれに間に合わすためとも思えない。やはり、青嵐市長お声がかりの「伸び行く東京」を実践しているのだろう。
服部時計店の向かい側の三越の建物も真新しい。屋上に鳥かごのような骨組みが見えるので、俊夫は展望台でも建築中なのかと思ったが、あとでこれは噴水型のイルミネーションとわかった。
五丁目側の角はエビスビヤホール。こちら側も三愛の場所にあるキリンビヤホールと相対時している。
広瀬正 著 『マイナス・ゼロ』 集英社文庫(1982) PP.155~156
これらの文章からは時代の薫りがしてくる。
そのほか、広瀬氏は人物の主語の扱いに長けている。
郵便局備え付けのペンがチビていて書きにくく、彼は便せん四枚の手紙を書くのに三十分以上もかかった。オールドミスの局員が「郵便局は手紙を書くところじゃありませんよ」とヒステリーを起こしたので、伝蔵は「わかっています。私は為替を組んでもらいに来たのです」と答えて、その通りにした。為替を手紙と一緒に封筒に入れ、更に書留にしてくれるようヒス嬢に依頼した。
同上 p.332
ヒス嬢って(笑)
また、美子が在宅のときでも、門の前にリンカーン・コンチネンタルがとまっているので、伝蔵のほうで引き返してしまうこともあった。
そして、美子に会って話をしている最中に、リンカーン・コンチネンタルがやってくることもあった。
同上 pp.337~338
面白い語句の使用感覚を有している。人を笑わせるセンスのある作家さんである。
この小説の肝はなんといってもSF小説。それもタイムマシンものだ。(ここ数日というもの、タイムマシンものと縁のある私である。)
時間移動ものにはそれぞれ作者の時間移動に対する考え方、例えば「過去・未来を変えることは可能か」といった諸所の事情に対しての見解が現われている。はたして、広瀬氏は時間移動に対して肯定的か、はたまた否定的な態度なのか?そこにも注目して読んでいってほしい。
この本は叔母から勧められて読んだのですが、はじめは戦争小説だと思っていました。だから、「重苦しい内容だな」と思ってあまり読み進まず、一度は放棄。それから1年後の今になって手に取ったのでした。
読み進めると、啓子との再会のシーンから「おかしいな」と思い始め、いきなりタイムマシンが出てきてびっくり。タイムトラベル小説だったことに気づきます。そこからは流れるように読み進めることができました。
価格:1,012円 |