この本がおもしろい!

自分よりも他者を大切にしてしまう 鴨志田一『青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない』を読む

うらみわびの【この本がおもしろい!】第25回

本作は「青春ブタ野郎は○○の夢を見ない」、通称「青ブタ」シリーズの第2作目です。描写が丁寧なので、本作から読んでもいいですし、本作から読み始めても十分に楽しめます。

鴨志田一『青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない』

青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない (電撃文庫) [ 鴨志田 一 ]

価格:671円
(2022/5/14 16:21時点)

勝手に評価表
内容★★★★☆
難しさ★☆☆☆☆
価格★☆☆☆☆
タイトルのインパクトが強い! 鴨志田一 『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』を読む 皆さん、ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしょうか。コロナ感染症がまだありますが、つかの間の連休、羽を伸ばしたいですね。 ゴー...
あらすじ

前作でアクシデントも含め、国民的アイドル高校生であり、同じ高校に通う1個上の先輩である、桜島麻衣との交際に発展した梓川咲太は浮かれていた。前作から1か月間、彼女に毎日愛の告白を続ければ彼女の公認カップルとなれるのだ。

そして運命の最終日、 咲太はついに彼女の想われ人になれるはずが・・・ 運命の歯車が動き出す。その裏には一人の悪魔がいた・・・。

個性的で仲の良い親友

本作の主人公、梓川咲太は今どきでは珍しい携帯電話を持たない高校生。それでいて周りの空気が読めない。いや、あえて読まない。しかし物語の急所ではきっちりと押さえるソツのなさを持ち合わせています。本シリーズは主人公が積極的に動き回り、問題の打破を試みる。どこか客観的に読める不思議な作品です。

そして前作でも活躍した国見佑真にも注目!彼は今作でも見せてくれます。まさにミスターイケメン。人のよさがにじみ出ています。

しかし、そんな彼にも心に秘めた悩みがあるようで…。

 やはり怖いのは孤独

本作のキーパーソンは梓川の1個下の後輩、古賀朋絵だ。普段、明るく振舞っている彼女であるが、心の中では常に不安と戦っていたのである。

彼女が一番気にしていたのは、せっかく築き上げた交友関係が壊れ、クラスで孤立すること。孤立は孤独よりもおそろしいというのは前回の記事に書いたとおりだ。古賀はクラスで孤立することを心の底から恐れている 「ひとりは……恥ずかしい」彼女の本音がこぼれた。

本作を通して咲太は孤独の一歩先をみているようだ。

 恐れているのは孤独そのものではない。みんなの輪から外れている自分を、みんなに見られるのが嫌なのだ。みんなに噂をされるのが嫌なのだ。どこかバカにされたように笑われることが、なによりも嫌なのだ。 

 

これこそが孤立というものだろう。人間はいやがおうにも社会に組み込まれる。学生ならクラスがもっとも身近でもっとも逃げることが困難であり、よって最も苦痛な場所である。

社会人になると職場のオフィスなどが外部からみたブラックボックスであるが、学生はクラスというブラックボックスの中にいる。私は学校のクラスの方が厳しい環境なのではないかと思っている。

社会人はある意味、いつでも自分のフィールドを変えることができる。しかし現在の少ない学習環境のオプションのなかでは、学生は自分のフィールドを変えることが難しい。

古賀に関していえば、もともと親の転勤で上京したために、これ以上の環境の変化は避けたいところだ。本人自身も今のクラス内の地位を確立するためにファッションを含め相当な努力をしている。

しかし、古賀の努力は度が過ぎていた。その努力は維持することが容易ではない。不安は胸に降り積もるばかりだ。彼女は折れてしまったのだ。彼女は誰かの手を借りなければあの状況を打破できなかったのだ。それにしても友人の心を逆なでしないように年上の先輩を振らないといけないのは、なんたる戦場だろうか。

 朋絵とHSP

朋絵は自分が女子グループのなかで孤立しないように立ち回ることで自らの地位を保持していた。そもそも転校生の彼女がクラスの女子カースト上位に属するには相当の努力が必要だったはずだ。彼女はそれをやってのけた。

彼女はとにかく機転が利く。他人が困らないように自らが先に動いているのだ。3年生の先輩からの告白でも、好みではないなら簡単に振ればいいのに、その先輩のこと好きな友人が傷つかないような振り方を模索してしまう。この動機の半分以上はクラスでの地位の保持だが、残りの約半分は無意識のうちではないか。

人の気持ちがここまで読み取れる人はそうそういない。このことについては咲太も感じている。

取りこぼさないように、朋絵は常に気を貼って周囲を見ているのだ。良く言えば、ちゃんと空気が読める。悪く言えば、空気を気にしすぎている。そして、空気に合わせて自分の行動を選択している。

それでいて古賀は根が優しいのだ。周りの誰も不幸にしたくない、と思っている。だから砂浜で友人のストラップを最後まで探し、迷子の子供にも付き添っていられる。魅力的な心の持ち主である。

しかし、誰かを守る気持ちが彼女のなかで常に最上位のプライオリティを占めている。彼女は自分の犠牲も厭わない。

HSP(Highly Sensitive Person)という特性を持ち合わせた人がいる。簡単にいうと、感受性が豊かな人である。私もHSPであると自認している。朋絵がHSPであるとは断言できないが、その資質はあるように感じる。

HSPの人は周りの空気が読め過ぎてしまうのだ。相手の表情の微妙な変化や声色から相手の感情を読み取る。そして感情のサーチ能力が非常に高い。

それに加えて、HSPの人はとても繊細な感情も持ち合わせている。相手の感情の妙を察知し、相手の心に波風を立たせないようにする、いわば事なかれ主義の一面がある。朋絵はこのようなHSPの一面を持ち合わせているように感じるのだ。

 朋絵が幸せになるために

朋絵は相手のことを慮って、息苦しい環境に身を置いている。どこかで溜まった気を抜かないと彼女が壊れてしまう。HSPの人は日本に5人に1人はいるというデータもあるので朋絵のような生き苦しさを感じている人は多いはず。どうしたら、このような人たちが幸せに生きることができるのだろうか。

一人の時間を大切にすること。気の合う友人を数人持っておくことである、と私は考える。コミュニケーション能力が高いことが良いこととされる現代日本。それは時として、たくさんの人と交流を持つことと同義とされているように感じる。しかしそれは必ずしも正解ではないように思う。特にHSPの人は深い洞察力があるので、テーマを絞ったことに集中し、友人も、気を遣わずに過ごせる人を数人だけ置く、というイメージの方がストレスが少ないように感じる。

HSPの人は人の仲を取り持つのがうまいので集団でも重宝されるが、集団全員と関係を深めるほどの器用さはないと考える。むしろたくさんの人の感情がなだれ込んできて、心の容量がオーバーしてしまうのだ。結果としてHSPの人のパフォーマンスが下がってしまう。

朋絵に関していえば、彼女は咲太との関りで、自分をもっと大切にしていくように思う。それに加えて、これから大学や社会に出ていくことで、自分のフィールドを自分で選べるようになるので、生きやすくなると思う。そういった意味で、彼女のような人に学校での集団生活はきつい。

 最後に

この作品を読んで、少し胸が痛んだ。私にとっては話がかなりリアルだったからだ。今、この瞬間にも周りの人に気を使って本来の自分を押し隠している人がどれだけいることだろうか。最近では自己啓発本も多種で回り、社会における「あるべき人間像」が出来上がっているように感じる。しかし、それはある人々が良しと考えるステレオタイプなのではないか。このようなステレオタイプの型の押し付けが人々の心に分断を生んでいる気がする。ワイワイガヤガヤな集団は楽しいが、その裏で、場の雰囲気に合わせて自らの感覚を総動員している繊細かつ優しい人がいるかもしれないことに私たちはもっと目を向けるべきではないだろうか。すべての人が生きやすい社会に。あるべき人間像を取っ払って、その人の悪いところ10個じゃなくて、いいところを3個見つけてあげられたら、なんと幸せなことだろう。

江ノ島から眺め。アニメ版ではここで朋絵が咲太に告白したんですよね。

今日も皆さんが幸せでありますように

本が好き!