この本がおもしろい!

社会的な「正しさ」のうしろに隠された「欲望」 遠野遥『破局』を読む

生れてこのかた25年。人生で初めて日傘をさしました。私も遂に日傘男子デビューであります!使ってみると案外いいものですね。直遮光を遮断するのでひんやりして体感温度を下げてくれます。

街中で日傘をさしている男性を見かけると「仲間だな!」とかってに思ったりもしています。

うらみわびの【この本がおもしろい!】第27回

遠野遥 『破局』

破局 [ 遠野 遥 ]

価格:1,540円
(2022/6/5 23:50時点)

勝手に評価表
内容★★☆☆☆
難しさ★☆☆☆☆
価格★★☆☆☆

 どんな作品?

陽介は大学法学部の4年生。高校の頃よりスポーツで鍛え上げた肉体を維持しており、現在は母校の部活動のコーチという顔も持つ。彼は公務員志望で試験を控えている。傍から見ればよくできた男である陽介であるが、そんな彼にも裏の顔があった。

 ここに注目!

本作は主人公である陽介の視点で淡々と物語が綴られていきます。陽介と共に日々の生活を追体験していく感じです。しかし、ある所から彼の心理面における陽と陰二つの側面があることに気づきます。社会において相反する二つの感情の顔をもつ陽介がその感情を上手くコントロールできるのか、それとも飲まれてしまうのか。人間の生々しい本質に迫った作品です。

希薄な人間性

読んでみて、内容が淡白で物足りない印象があった。人間の内面の光と影を描き切った面では評価できるが、他の登場人物との関係性があまり描かれていない。例えば、お笑いサークルでの友人の膝との関りや膝の人生についての言及がもう少しあってもよかったのではないか。

もしかしたら、あえてあっさりと描き切った可能性はある。陽介はそれだけ自分にとって利益のあることにしか興味がなく、友人や彼女についても深い考察がなされていない、もしくは深く考えていると自らが思い込んでいるのかもしれない。「現実は小説よりも奇なり」という言葉の否定、「人生なんてこんなもんだ」と言われているようにも感じる。

この小説の内容が希薄に感じる要因はもしかしたら文体にあるのかもしれない。しかし、私はこの文体はかえって洗練されていてよい、と思っている。遠野遥さんの文体、ともいえるかもしれないが、難解な表現で着飾ることをしない文体は読みやすさは抜群で内容がすっと入ってくる。これは内容の希薄さ、ではなく洗練されている、と私は捉える。

 小説『蛍川』で第78回芥川賞を受賞した宮本輝さんは次のように語っている。

人生は非常に難しいもので、これ以上は言葉にできないってこともいっぱいある。でも、難解なことを難解な言葉で書いている限りはその人が至っていない人だろう。

シンプルな文体で書かれた文章は言い換えれば、解釈をある程度読者にゆだねた文章である、といえる。したがって、読者の背景知識によって解釈も変わるわけで、本書を読んだ感触も読者それぞれで異なるのかもしれない。扱う内容の目の付け所さえよければ、シンプルな文体は難解な文書をしのぐほどの多様性を秘めた文章と成り得る。私自身、洗練されているシンプルな文章の方に惹かれる。

 誰にでもあるダークな部分

本作において主人公のゲスさがクローズアップされるが、陽介を取り巻く人間たちも必ずしも白ではない。むしろ黒よりのグレーなのだ。灯は陽介と付き合い始めの頃は陽介にすべてを捧げる覚悟であったが、次第に他の男に目移りしていく。膝にいたっては自らのだらしなさをオープンにしている。

なかでも印象に残っているのが麻衣子の行動だ。彼女は陽介が他の女性と関係を持っていることを知り、別れるのであるが、彼女が灯にアプローチを試みるのである。これは決して計画的なものではなかったのであろう。麻衣子と灯が出遭う、そして麻衣子のなかの陽介との未練が爆発する、この2つの偶然が重なって麻衣子は灯に交際中に陽介と自分が肉体関係を持ったことを明かしたのである。

人間はときに自らの情熱の赴くままに行動する。そこに理性はない。人間は決して論理的な行動をするとは限らない、ということがここからうかがえる。

人間の理性を超越する情熱、欲求。どうすればそれを押さえることができるのだろうか。いや、抑えることはできないのではないだろうか。では、私たちは自らの欲求とどのように付き合っていけばいいのだろうか

自信が導く先とは

ここに考えが至ったとき、はじめに思い当たったのが恋愛、そして結婚生活の難しさである。

「初恋の気持ちを忘れずに」とはよく言われることであるが、その情熱そのままに突っ走ってしまうと失敗してしまうことがあるようにも感じる。恋愛とは一時の情熱であるが、その先の結婚とは、その先の二人の人生を共に歩んでいくということ、人生の主語が「私たち」になる、ということである。片方の欲求をぶつけ合っては、いつかすり減ってしまう。だからこそ夫婦はお互いにある程度の距離を取りながら歩んでいくべきなのではないか。

 幸福な結婚生活のために

そうすると、結婚生活というものは、どうしても魅力のないものとなってしまうように思う。しかし、それが現実なのではないだろうか。傍から見れば、最も輝かしい時期が結婚式の時であり、ハネムーンのときである。残りの人生はいたって平穏無味な、でも確実に幸せを噛みしめていく人生となるのではないだろうか。

自分の幸せを見つけて感じるのはあくまでも「自分」。でも、2人でいるとき「にも」幸せを感じる。そんな距離感が私の理想の夫婦間である。

だからこそ、お互いに「相手の為に」と意気込むのは良くないと思う。お互いが「支え合う」という考え方が現代の多様な社会に即した感覚なのではないだろうか。

そう考えると、灯のスタンスには無理があったように感じる。また、軽い意見ではあるが、相手の見た目に惚れるという動機は危険だ。容姿は時間と共に変化し、それを維持することにストレスがかかるからだ。

私は、結婚とは恋愛の延長線である、と思っているので、ここで日本人の結婚観について少しみてみる。

 平成27年の内閣府による結婚・家族形成に関する意識調査報告書https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/research/h26/zentai-pdf/pdf/print.pdf)をみてみると、Q25あなたは、結婚についてどのようにお考えですか。」という質問に対して、全体で「必ずした方がいい」、「できればしたほうがいい」という意見の合計が68.1%と多く、男女、結婚未婚すべてにおいてほぼ差異は見られなかった。

一方、「結婚しなくてもいい」という意見も全体で30.9%と思いのほか多かった。特に未婚の30代女性で「(結婚を)無理しなくてもよい」という意見が42.2%と多かった。

結婚をするかしないか、という問いに関しては個人差がある、といっていいだろう。

また、同報告書で興味深いのがQ28だ(「結婚したい(したかった)理由を教えてください」)。男女とも「家族を持ちたい」、「子どもが欲しい」、「老後を一人でいたくない」といったものが多数を占めている。私が驚いたのが「両親や親せきを安心させたい」という考えが男女とも多いことだった。いずれにせよ、一人の孤独よりも誰かと一緒にいたい、という連帯意識が見て取れる。

他方、「家事の負担を減らしたい」や「社会的に認められたい」といった外枠の面は意識のうちにないようだ。

私たちにとって結婚とは人間的なつながりを意識してのものである、ということが分かった。そして、結婚の主な動機が「子ども」にあることもうかがえる。もちろん、結婚観は人によって異なるので、パートナーとの結婚観の情報交換が前提となるのであるが、決して目の前の相手と添い遂げるだけが目的ではない、ということは留意しておくべきだろう。

 自分に問う

私たちは私たちなりの美学をもって生きているわけであるが、その美学が本当に自分が心から信じているものなのか、ということには注意したほうがいいのかもしれない。陽介はいわゆる社会的マナーを心得ていると自覚しているが、自分にとことん甘いところがある。つまるところ、彼は世間体を気にしているのである。嘘で固められた自己はあることをきっかけに瓦解する。だからこそ、自分の胸に手を当て自らに問うてほしい。「自分はなにをしたいのか」を。

だから私は彼がなぜ公務員を志望しているのかについて聞いてみたい。淡い志では大成はしない。そして幸せにもなれないのだ。

自信を持つことは大切なことだ。自身こそが自らの支柱となり、人生の指針ともなる。しかしながら、世の中には”自惚れ”という名の誤った自信があることも忘れてはならない。自らの自信を定期的に点検し、その行く先を見据えることもときには必要なのではないだろうか。

今日も皆さんが幸せでありますように

本が好き!