この本がおもしろい!

タイムトラベルってしてみたい?でも、こんなタイムマシンは嫌だ!広瀬正 著『マイナス・ゼロ』を読む

 ハプニングはつきもの

タイムトラベルといえば、最近で言えば映画『時をかける少女』。当作ではタイムトラベルには回数が決まっていたり、周りの人と記憶の差があったりしていろいろとリスクがある、という前提に立って物語が紡がれていく。

細田守 監督『時をかける少女』を見る ポテサラ論争や冷凍餃子論争なるものがあるようですね。恥ずかしながら私は先日、その中身を知りました。 出来合いの料理や冷凍...

本作も俊夫がタイムトラベルをして戦前の世界にタイムスリップするが戻ってこれない、というハプニングに見舞われる。SF小説にハプニングはつきものなのである。

――それにしても、『マイナス・ゼロ』に登場するタイムマシン。これは恐怖の乗り物でしかない!内容はぜひ読んでみて確かめてほしいが……そもそも目の前の物体がタイムマシンである、という確証はない。それなのに操作盤を操作してみる、という好奇心!私にはないなぁ。それに状況が状況とはいえ、敏夫のタイムトラベルは危険極まりない!私だったら何回もやりたい、とは思わないなぁ。命がいくつあっても足りないよ。SF小説の主人公には好奇心が必須要件ですな。

 一人勝ちを許さない

そのなかで俊夫はかなりポジティブであった。手元にたまたまあった大金も手を貸したのかもしれない。彼はどんな状況でも「今」を生きている

逆に俊夫は未来を知っているという自らの「記憶」を武器に商売で儲ける算段をするところがおもしろい。しかし、商売は思うようにうまくいかない。

そこで俊夫は思うのである。「事実はすでに決まっていて、個人の力ではどうすることもできないのではないか」と。これは私たちの人生にとってかなり悲観的な見方である。そして、この考え方から導かれる人生の指針は「状況に逆らわずに生きろ」ということだろう。これはこれで一理ある生き方であるように思える。

 記憶

しかし、それでもこの考え方は悲観的なものを含んでいるように思えてならない。「自分一人ではどうすることもできない」という未来への希望をついばんでしまうからである。

俊夫も一時、そのような悲観論に打ちひしがれていたように見える。そんな俊夫を上回るチャレンジ精神を持っているのがヒロミである。

彼女は「自分の行動次第で未来も過去も変えることができる」と信じている。彼女いわく、過去へのタイムスリップで事がうまく変化しないのは、そこに「記憶の自己収斂作用」があるからだそうだ。これだけなら先ほどの悲観論と変わりないが、彼女がすごいのは、事実が変化しないのは、変化したことに「自分が気づかない」から、という視点。

そこには人々の「記憶」が深くかかわっている。つまり、私たちは物事には事実があるようにみえて、本当は事実など存在しない、ということである。実は私たちは、自らの「記憶」に基づいて物事をみているに過ぎないのである。

したがって、人によっては物事の「正解」や「事実」とよばれるものも変わってくるし、本作についていえば、時代の「歴史」についても実は変化していても本人はその変化に気づいていない、ということになる。

いわれてみれば、これは至極当然のことで、例えば音楽でいえばアイドルがいいのか、歌謡曲がいいのかジャズか、はたまたアニソンか、といった人々の趣向のようなものである。これと同じように私たちは世界を自分の目で切り取っているのである。

専門的な言葉でいえば「潜在意識」ということになるだろう。言い換えれば、私たちの考え方やものの見方の癖のようなものである。

 神の記憶

それにしても、本作が人間の「記憶」に焦点を当てたのは興味深い。結論として、ある出来事について俊夫が「そうである」と信じなければ過去は変わる可能性がある、ということである。レイ子の死もしかり、である。あれは彼の潜在意識のかなり深いところで、(厳密には、「そうだった」とあとで思い出せる、という意味で)、レイ子の勤め先が火事になることを分かっていたことがレイ子の死に直結した、ということになる。これはおもしろいね。

全世界の出来事の有無を一人の人間(の記憶)が握っている

ということになるんだから。もしかしてタイムスリップするってことは、全世界の神になる、っていうことなのかな?

そうであるとしたら、私はタイムスリップは望まない。それは、「戻った過去」という一種のパラレルワールドにいる人々の将来の希望を結果的に奪うことになるからである。

一方で、未来を知っている、という自らのアドバンテージをもって他者を救う、というヒロミのポジティブな試みもなされている。

しかしながら、先ほどの考えにのっとれば、自らの潜在意識をゼロにしなければ過去は変えられない。つまり、過去を変えることは不可能ではないだろうか、というのが今のところの私の結論である。

 無限の未来

他方、未来は無限に広がっている。そこに私たちの「記憶」が介在する余地がないからである。未来は誰にも分からない。だからこそ希望が持てる。自由である。楽しい。

余談だが、英語の時制には未来形は存在しない。あるのは過去形と現在形のみである。ここには現在は未来に直結している、という英語圏の意識が投影されている。つまり、現在の行動次第で未来はいくらでも変えられる、のである。逆に過去は変えられない。英語という言語はそんなことを私たちに教えてくれている。

本作では登場人物が過去にしか行っていない。では、反対に未来に行ったらどうなるのか。それを想像してみるのもおもしろい。ここでは、広瀬氏があえて未来については書かなかった、とも捉えられる。もしかしたら、そこには上記のような、未来への希望、というメッセージが込められており、他方で過去に執着する人物たちを描くことにより、そのメッセージを逆説的に際立たせているのかもしれない。

今日も皆さんが幸せでありますように

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