きょう考えたこと

絶対のアイデアは存在するのか

うらみわびの【きょう考えたこと】第13回

嫌な意見もたまには聞いていこう

 私たちはそれぞれなにかしらの考え方、思想、アイデアを持って生きている。それは朝顔が真っすぐに伸びていくための支柱のように私たちの人生を支えている。確固たる考えをもつことはよいことである。しかし、それと同時に私たちは自らの考えと異なる考えに対して嫌悪感を感じてしまうことがある。ただ嫌悪感を感じるだけならまだよい。そういった考えとは距離を取ればよいからだ。しかしながら、時に私たちは他者の考えを批判し、改めさせたいという欲求に苛まれることがある。あたかも自らの考えの方が優位であるということを証明するがごとく。

 バーナム効果というものがある。「人々は誰にでも当てはまりそうな情報でも、それがあたかも自分の特徴であると思い込むこと」である。例えば「占い」がそうである。占いの結果は恋愛運、性格、食事等、事細かに書かれていることもあるが、大雑把なものだとテレビの誕生日占い、星座占いなどでは、同じ誕生月、星座の人に対して、同じ占い結果が示される。それでも私たちの多くはそれが「自分の運勢」であると信じている。プラセボ効果とも親和性が高そうだ。考えてみれば不思議な話である。

 ここで私は占いを真っ向から否定するわけではない。逆に肯定したい大切なのは占いで一喜一憂する、救われる人がいるという事実である

 私は「疲れた」という言葉をほとんど言わない。言わないように意識している。それは「『疲れた』が自分の疲れを取るどころか、自らをさらに疲れさせ、さらには周りにいる人をも疲れさせる」という信念に基づいている。そこで私は、例えば家族の誰かが「疲れた」と言った時には嫌な気分になるし、時には「そんなこと私の前で言わないでほしい」と言ってしまうこともある。私には先ほど述べた信念があるので、確信をもって相手に訴えるのである。

 ある日私はこのような意見を述べる人を見つけた。「ネガティブ発言もアウトプットである」と。要はネガティブなことでも言わないよりはいい、というニュアンスであると認識している。私は正直この考えはあまり好ましく感じなかった。しかし、バーナム効果をもとに考察すると、この考えも悪くない、と思うようになった。その考えで救われる人は確かにいるのだ。

 毎日のようにたくさんの意見を発信する人がいる。(私もその1人かもしれないが)。「その意見はおかしい」、「考えに一貫性がない」と主張する人もいるかもしれない。しかし、発信者が「常に同じ」人々をターゲットにしているとは限らない。「きょうはこの人」「今日はこの人」とターゲットを変えて発信している可能性もある。「あれ、この人、前と言っていることが違う」と思っても一旦立ち止まってみてほしい。たまたま、あなたがターゲットではなかった可能性があるからだ。

 『名探偵コナン』で有名なセリフのひとつに「真実はいつも一つ」というものがある。これは普遍性の強いように感じるが、私は違和感を覚える。一方、同アニメで工藤新一は「あらゆる可能性を排除して最後に残ったものが真実である・・・たとえそれが信じ難いものであったとしても」というシャーロック・ホームズのセリフを好んで引用している。私は後者のセリフの方に強い普遍性を感じる。

 ここで注意するべきは、『名探偵コナン』は犯罪捜査がメインのアニメである。そこには真実は一つしかない。それは科学的なことである。しかしそれを人々の思想に持ち込むとどうなるか。先ほどの占いの例のように、様々なことを言われても私たちはそれが自分に当てはまると思ってしまう。(バーナム効果) 考え方、性格、たくさんのものがある。それは人々の思想が大きな1つの正解が上から降ってくるものではなく、ありとあらゆる要素が積み重なって「私」という1つの個を作り上げているからである。絶対のアイデアは存在しないみんなちがってみんないい。少し大局的に他者のアイデアを見てみるとよいと思う。