「人」とは不思議なもので、あるときはとても幸せを感じ、あるときは深い悲しみを抱く。それも同じような要因に対してハッピーであったりアンハッピーであったりする。人によっても感じ方の感度が異なる。ある人は言っていた。「人間のみが『悩む』生き物なのである」と。今回は人間の”悲しみ”について考えていきます。
うらみわびの【きょう考えたこと】第38回
”負の感情”と対峙する
突如として”それ”は訪れる
人間だれしも生きていれば、悲しみや、やるせなさに苛まれることがある。それは突然やってくる。仕事の失敗によるやるせなさ、身の回りの不幸、ときには理由の分からない不幸感なるものにおそわれることもある。ここではこれらをまとめて”負の感情”と呼ぶことにする。
私たちは”負の感情”に不快感を抱く。それはおそらく”負の感情”が克服すべき対象である、と心のどこかで思っているからではないだろうか。
「だから”負の感情”を受け容れろ」と簡単にいうことは私はしない。”負の感情”にたいする不快感、それこそが私たちが示す自然な反応である、と考えるからだ。
失敗の原因は2つある
では、私たちは自らの”負の感情”とどう向き合うべきか。その答えを得るためにはまず、”負の感情”がどのようにして引き起こされるのか、について考えなければならない。
例えば仕事で失敗したとしよう。一生懸命に働いていたのに、仕事でミスをしてしまった。結果として顧客に損失を与えてしまい、お詫びすることとなった。ここではその後の顧客の損失は訂正され、事なきを得たが、上司からは叱責された。
このような事例で心に大きなストレスを感じる人は多い。それこそが”負の感情”である。「自分はなんてことをしてしまったんだ」、「自分が情けない」、「自分は能力のない人間だ」などと考えてしまう。(そもそも、そう考えない人間はそれでよろしい)
ここで自らが抱く”負の感情”は本物である。それは自分が自然と感じたものなのだから。誰もそれを否定することはできない。
しかしながら、物事を複雑に考えるのはよいとはいえない。物事には主に2つの要因が絡んでいる。それは自己要因と環境要因だ。自己要因とは、物事の結果に影響を与える自らの行動のことである。他方、環境要因は、自分以外の人物や状況などの環境による影響要因である。
これを今回の事例に当てはめてみる。仕事のミスをしてしまったのは、自分である。したがって、仕事上の自分のミス(判断ミスなど)が自己要因に当てはまる。一方で、ミスにつながった他の要因も考えられる。例えば、仕事が繁忙期で職場内の雰囲気が殺伐としていた、だとか、今回の顧客が大きな案件を扱うミスの許されない顧客だとか、些細なミスにもうるさいクレーマーだったのかもしれない。このようなことがミスを引き起こす環境要因として考えれられる。このようにして、自己要因と環境要因の二つが合わさってミスという事例がうまれる。
自分の判断ミス(自己要因)
X
ミスが許されない状況(環境要因)
=仕事でのミス(結果)
偶然を怖がるな!
私たちの”負の感情”は突然やってくる。それは具体的には物事のある結果に起因するものである。そして物事の結果は主に自己要因と環境要因という二つの要因が掛け合わされて生まれる、ということを概観した。
ここで見えてくるものがある。つまり、私たちは自分たちが思っているほどの傷つく必要のない存在である、ということだ。なぜなら、物事の結果に自分はどれだけ関与しているか。自分が関与できるのは自己要因だけだ。要するに自分は物事の結果の50%しか関与できないのだ。残りの50%は環境要因。つまり、自分ではどうにもならないことに起因しているのだ。
ここまできたら開き直るしかない。私たちに日々降り注ぐ災難は半分は自分で防げて、残りの半分は自分では防げないのだから。これはまさに「運命」や「偶然」としか言いようがない。
偶然に対しては寛容でありたい。偶然という珍客を受け容れるような大きな器の持ち主でありたい。ニーチェは「偶然を妨げるな。それは赤子のように無垢なのだ」と言った。偶然を怖がらず受け入れる広い親のような心。それこそが私が目指したいものである。
悩み=
それでも、あなたは言うかもしれない。「いや、そんな聖人のような広い心を持つことは私にはできない。そもそも、そんな広い心を持つことができる素質があれば私は今、苦労していない」と。付け加えてあなたはこうも言う。「私は今現在、”負の感情”に苦しんでいるのだ。このやるせない気持ちをどう落ち着けたらよいのか教えてくれ。この苦しみから”今”解放してくれ」と。
私はこれに対して2つのことを申し上げる。第一に、今すぐ”負の感情”の苦しみから解放されることは難しい。それができたら多くの人が”負の感情”に苦しむことはないだろう。
しかし、解決策がないわけではない。それは今をやり過ごすことだ。具体的には何もしないことだ。”負の感情”とは心における雨なのである。雨の日があれば晴れの日もある。それは環境のなすことなのだから、私たちではどうすることもでない。だから、雨の日には家で過ごすように”負の感情”に対しては何もせず寝て過ごせばよい。私なんかは”負の感情”に苛まれたとき、ベットで思いっきり泣いて寝る。そうして”負の感情”が過ぎるのを待つ。
第二に、”負の感情”を抱く自分を許してあげる必要がある。ある人が「人間のみが”悩む”生き物である」と言った。それは人間を肯定的に見ているのか、否定的に見ているのか、は解らない。私はこれを肯定的に捉えたい。私たちは悩む。では、なぜ悩むのか。それは私たちが現状に満足していないからだ。では、なぜ現状に満足していないのか。それは私たちが善く生きようとするからだ。「善く生きようとする」こと。それは未来への希望である。自らが幸せに生きようとすることである。誰かを幸せにしようとすることである。これが良いことでないはずがない。
つまり、”悩む”ということこそが実は人生にとって良いことなのである。しかし、悩みは辛い、自分が良かれと思って行動して人から非難されるのは怖い。しかし忘れないでほしい。そこには必ず”悩み”があるということを。哲学者のカントは次のように言った。
価値がないと思われる人生を生きることこそ尊い。なぜならその行為が生きるという義務に対する道徳的価値をもつからだ
だから、自分を必要以上に責めないでほしい。”悩む”あなたこそが本当は美しいのだから。
今日も皆さんが幸せでありますように