皆さん、ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしょうか。コロナ感染症がまだありますが、つかの間の連休、羽を伸ばしたいですね。
ゴールデンウィークというと、最近の私はこの作品を思い出します。
うらみわびの【この本がおもしろい!】第23回
鴨志田一 『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』KADOKAWA
青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない (電撃文庫) [ 鴨志田 一 ] 価格:671円 |
勝手に評価表 | |
---|---|
内容 | ★★★★★ |
難しさ | ★★☆☆☆ |
価格 | ★☆☆☆☆ |
「その日、梓川咲太は野生のバニーガールに出会った。」
ゴールデンウィークのある日、湘南台の図書館で湘南の高校に通う梓川咲太はその場に不似合いな存在を目撃した。咲太は彼女を知っている。桜島麻衣。子役としてデビュー。将来を期待された女優は数年前、突如として姿を消した。驚くべきは、図書館の他の誰も彼女の存在を認識していないこと。
「驚いた」「君にはまだ私が見えてるんだ」
なぜ彼女は芸能界から突如姿を消したのか。なぜ彼女は他の誰にも認識されないのか。
これは人間と社会をテーマにしたヒューマン小説である。
舞台は湘南
物語の舞台は鎌倉、江ノ島、藤沢、といった湘南エリア。小説では、かなりリアルに描かれています。日帰りで訪れることができる私にとってはかなりテンションが上がる小説です。アニメ版もおすすめで、実際に聖地巡礼するのもいいかもしれませんね。個人的には電車が好きなので、江ノ電の駅名や、周辺の描写が入っているのがポイント。グーグルマップやストリートビューで物語の世界を疑似体験するのも一興。
アニメ版では声優さんにも注目。主人公の梓川咲太役には石川界人さん。イケメンボイスとところどころ体を張った演技が印象的。ヒロインの桜島麻衣役には瀬戸麻沙美さん。大人びた印象がピッタリです。他には元気な役がピッタリの内田真礼さんや久保ユリカさん、水瀬いのりさんなど、実力派声優さんが集結しました。アニメ版は声優さんの熱演にも注目!
アニメ版の放送に合わせて、ラジオも放送されました。MCは声優の瀬戸麻沙美さんと久保ユリカさん。こちらでは収録の裏話やリスナーとの恋バナ、お二人の趣味など多彩な話で盛り上がりました。本編では引っ込み思案な役の久保さんが、こちらでは積極的!? アニメ抜きにしても聞きごたえがあります。
怪奇現象を証明する
今回で2回目の通読となったが、なかなか深い内容であった。単なる青春小説ではなく、そこに人間関係と社会を盛り込んだ作品である。今回の主題は「人から認識されなくなる」ということ。作中では思春期症候群の一例として取り上げられていた。これを怪奇現象として扱うのではなく、化学的に考察していくところがまたおもしろい。
この物語のなかでは双葉理央を通して量子力学が大活躍する。本作に登場したのは観測理論。「この世に存在するものは誰かが観測してはじめて存在が認められる」というものである。
観測理論を通して人間関係をみるのはおもしろい発想だ。つまり私たちが社会の中で存在を有するのは、誰かによってその存在を確認されているから、である。反対に誰にも気に留められなければ(観測されなければ)その人はその場に存在しないことになる。
人間社会を生きる、ということ
不自由な共存
観測理論が示すこの結論は非常に残酷である。私たちの社会における存在条件は自分ではなく、他者によるからだ。誰にも相手にされない、真の意味での独りぼっちでは社会で生きていくことはできない。これは非常につらいことである。人間は社会的な動物と呼ばれる。私たちは社会で生きていくために誰かに「観測」されようと必死になる。
ここでいう「観測」は単なる目視によるものではなく、他者による「認識」によって成り立つ。したがってリアルな社会で認識されなくても非リアルの世界、つまりネットの世界で認識されれば、まだなんとかなる、とも思いたいものだ。しかしながら現実はそう甘くないらしい。私たちの社会には流行、トレンド、趣向といったものがあり、それに乗り遅れると社会に取り残されてしまう。根も葉もない噂も飛び交う。ネットの世界も例外ではないらしい。
社会とひとくくりに言っても様々なものがある。例えば、芸能界、企業間、学校、交友関係など、大小さまざまなものが存在している。私たちは複数の社会で暮らしている。それも半強制的に。この面では、学校やその交友関係こそが厳しい社会といえる。まず第一に、半強制的にその社会の構成員にされる。(例えばクラス) 第二に、その社会から逃げ出すことが難しい。(クラスはかわることはない。メンバーは固定) 社会には流行や流儀が存在する。流行や流儀に沿わない構成員は取り残されて、排除される。この一連の流れが具現化されたものがいじめである。いじめは残酷だ。抗う術が圧倒的に少ない。
取り残される被害者
人間は見たくないものは見ない。そして嫌なことは忘れる。これは人間の防衛本能である。これは人間の生存には大切な機能であるが、人間社会においては弊害をもたらす。人について、真否不明の噂をしておいて、そのことを忘れる。これは人が他者の「噂をしている」ということ自体を楽しんでいるのであり、噂をされた人のことなど大して興味がないからだと考えられる。もしかしたら、噂をすることに少し後ろめたさもあるのかもしれない。噂千里を走る。噂が去るのも速い。取り残されるのは噂の被害者だ。心の傷は深い。いったい誰が癒してくれるのだろうか。
心に傷を負った人には様々な症状が現れる。咲太や妹のかえでが負った傷は、それが具現化したものである。たとえ目に見えなくとも私たちは日々の生活の中で多くの心の傷を負っている。ほとんどが知らぬ間に治癒してしまうが、こころの奥深くにある傷はマグマのように溜まっていく。後にあることがきっかけで、噴火することがある。心の傷は本人が認識しているよりも深刻なこともあるのだ。時には腹痛や気分の落ち込みなど、体がサインを出してくれることがある。私たちはそのサインを見落とさないようにしたい。
他人の評価に流されない
本作の登場人物の中で私が特に注目したのが主人公 咲田の親友である国見佑真である。彼は咲太だけでなく、誰とも打ち解ける性格の持ち主。一般人の感覚を持ちながら、他者との間合いの取り方が絶妙である。それが現れているのが、彼の彼女である、上里への評価である。私から見て彼女は決して性格のいい女性には見えない。咲太も彼女の性格の悪さに苦言を呈するが、国見は相手にしない。彼は自分の見たままの彼女が好きなのである。他者の評価には流されない、彼の芯の通った性格が表れている。
3つの言葉
「ありがとう」、「ごめん」、「助けてくれ」を言えるのが梓川のいいところ。国見は梓川をそう評価していた。私はできているか。どれもできていない気がする。社会的な常識の範囲では言えている気がしても、仮面をかぶっていない自分、素の自分が相手にこれらの気持ちを伝えることは残念ながらできていない。細かいことはいらないから、この3つの言葉はしっかりと言えるようになりたい。この小説を読むたびにそう思わせられる。
情報の海に生きる
私たちは人間社会に生きている。人間社会はさながら情報の海である。日々たくさんの情報が生まれては消費されていく。トレンドやルールといった海流に私たちは乗らなくてはならない。流行に乗り遅れたり、ルールを破ったりしたら、そのながれから追い出される。もう戻ることは叶わない。この世界には孤独よりも恐ろしいものがある。それは孤立である。しかし、孤立と同時に私たちは知る。海流の外にも情報の世界があることを。私たちは今いる世界がすべてである、と思いがちである。しかし、世界は無数にある。今いる世界に息苦しさを感じるなら、思い切って抜け出す勇気も必要である。もっと楽に息のできる場所を探そう。私たちの居場所は必ずどこかにある。
「世界なんて勝手に回ってるんだな」
世界に比べて自分のちっぽけさを知り、同時に自由を知る。文明の利器は手放しに幸せを与えてはくれない。私たちが幸せを手にする姿勢をもち、行動を起こさなければならない。
今日も皆さんが幸せでありますように