うらみわびの【この本がおもしろい】第24回
超えるべきは「自分」
トルストイは自我を理性が従えることで人は幸せになれると説いた。それは自分一人だけが好きに振る舞ってはいけないということ。他者を幸せにする姿勢(自己犠牲)によってはじめて自分は幸せになれるのである。つまり人は愛によって幸せになれる、というのである。
人生論改版 (新潮文庫) [ レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ ] 価格:506円 |
勝手に評価表 | |
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内容 | ★★★★☆ |
難しさ | ★★★☆☆ |
価格 | ★☆☆☆☆ |
自我の追求は人々に快楽と充実感を与える。例えばスポーツ。自らを追求することは、私たちの人生の指針ともいえる。だってかのニーチェも言っているではないか。私たちが目指すのは「超人」であると。ここでの「人」とは「自分」のこと。能力のない自分でもあり、他者をうらやむ自分でもある「自分」。つまり越えるべきは他者ではなく、自分なのだ。
他者がいてくれての「自己決定」
自分を突き詰めていくと、そこには自己決定がある。「自分のことは自分で決めていく、ということだ。しかし、この自己決定が意外と難しい。「何をすれば良い」、「どのようにすればいい」。意外と分からず路頭に迷ってしまう。
「自己決定」についておもしろい主張を展開するのが、大澤真幸の『自由という名の牢獄』だ。ここではまず「保険」の成り立ちから入る。保険、例えば火災保険や自動車保険はなぜ成立するのか。それは近年の火災や自動車事故の件数が分かるから。この件数という「数」が分かるのが大きい。つまり数が分かるから、そこから「どのくらいの頻度で事故が起こるのか」という確率が分かる。確率が分かるから事故の被害額を被保険者全体で肩代わりできる。要するに「全体の補償額はこれくらいだ。それを被保険者一人当たりの負担に換算するとこれくらいだ」という数字の予測が立つわけである。
このようにして多くの人々がお金を負担しあうことで個人の損失リスクを分担し、保険が成り立っている。保険は直接関係ない他者同士を結びつける役割を果たしている、と大澤氏はいう。換言すれば、自分とは直接関係ない他者の存在なしには保険は成立しない。
自由という牢獄 責任・公共性・資本主義 (岩波現代文庫 学術389) [ 大澤 真幸 ] 価格:1,628円 |
勝手に評価表 | |
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内容 | ★★★★☆ |
難しさ | ★★★★★ |
価格 | ★★☆☆☆ |
保険に入る、という選択をするのは、それぞれの個人である。それは自己決定である。ここでいう「保険に入る」とはあくまでも、加入者個人を守るための本人の意思決定である。しかし、その自己決定でさえ他者の存在なしにはあり得ない、というのだ。
「自由」の範囲はここまで?
「自分のことは自分で決めたい」という気持ちが私たちのなかにはある。しかし、それは制限付きの自由である。J・S・ミルは「自由論」で、個人の自由を尊重した上で、それは「他者に危害を加えない上で」という制限をつける。
「自分」というものが成り立つのは他者がいてこそである。スポーツをはじめとした競技は他者がいて初めて成り立つ。
皆が「自分」というものを独立した存在として認めるのはいかなるときか。自らが絶対的な正義を持っている時か。財産がある時か、はたまた事の真理を知っている時か。ミルは言う。「私たちの100人に99人は真理を自分のものにしてはいない状態である」と。なぜなら、真理というものは自分の側からだけでなく、相手の側からも見なければならないからである。ここでいう「相手」とは自らに反論をぶつける論敵のことである。
価格:924円 |
勝手に評価表 | |
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内容 | ★★★☆☆ |
難しさ | ★★☆☆☆ |
価格 | ★☆☆☆☆ |
自由とは相手の存在を認めることである。それも自分にとって敵ともいえる相容れない者の存在を認めることである。
先日、資産家のイーロン・マスク氏がSNS大手のツイッター社の株式を100%取得した。同社にマスク氏が支払う額は総額5兆円にも上るというから驚きだ。そこまでしたマスク氏がこだわるのは「言論の自由」だ。これまで言論の事由に関しては、根拠に乏しい偽情報(フェイク・ニュース)を制限する立場と、個人の主張・思想の自由を保障しようとする開放の立場の2者がせめぎ合ってきた。マスク氏が主張する表現上の「自由」は果たしてどこまでの自由なのか。
少なくとも、多様な主張を持つ「他者」という存在を認めることになるだろう。
一方で、ある主張によって個人の名誉や生命が危険にさらされることとなったらどうするのか。それも言論の自由として補償するのか。青天井の自由をミルは望まないだろう。
今日も皆さんが幸せでありますように