きょう考えたこと

ここがコワい!間違い潔癖症

うらみわびの【きょう考えたこと】第17回

こぼしてしまった水のゆくえ

あなたが恋人と昼食をとっているとする。すると、あなたの恋人はふいに水の入ったコップをこぼしてしまう。あなたはそれを見て、「あー」と思わず一言、そして・・・

A:「なにやっているのんだよ(のよ)」と言う。

B:黙って(笑顔で)テーブルを拭く。

あなたであったら、どちらの行動をとるであろうか。この2つの行動の選択は両者に全く異なった影響を与える。Aを選んだ人は心から恋人に怒りの念をもってその言葉を言ったのかもしれない。それとも、喉元まできた自らの最初の感情が思わず口からこぼれ落ちたのかもしれない。どちらにしろ、Aの行動をとられたあなたの恋人は良い気分はしないであろう。もしかしたら、Aの行動をとったあなたもいい思いはしていないかもしれない。

ネガティブな言葉や行動は強い影響力をもって伝染する。人は誰しもが怒りや悲しみなど、ネガティブな感情をもつ。それは自然なことである。しかし、それを相手にぶつけるかどうかは、あなた自身の行動にかかっている。

自分の感情をオープンに伝えることは良いことである、と考えている人もいる。これは自分の感情にモヤモヤとしたしこりを残したくない、と言う人もいれば、自分の感情を相手に隠すのは良くない、と考えている人もいる。

では、水をこぼしてしまった人はどうであろうか。水をこぼして「あ、やっちゃった」と感じるほどで、「ま、いっか」と軽く済ませる人もいれば、「あ~ どうしよう」と慌てる人もいる。反応は様々だ。

なかには恐怖に近い感情を抱く人もいる。これは 水がこぼれる=水が無駄になる、といった喪失感からくるものだと推測する。私自身もこの種の人間だ。私は「喪失する」ことに強い恐怖を感じる。特に人や自然が労力をかけて創り上げたものを破壊する様を見るのが大嫌いだ。子どもの頃は誰かが作っていた積木のお城がふとしたことで音を立てて崩れ落ちる、といった情景に恐怖したものだ。たとえ、それが自分の所有物の喪失でなくとも怖いのだ。他人がなにか損を被っているようで・・・。

さきほどの、水をこぼした例も同じである。人によってはこぼした側の人間が一番、その状況に戸惑っていることがある。そこに「なにやってるんだよ」と怒りの一撃をかましてもお門違いである。この状況に最も傷ついているのは、水をこぼした当の本人なのだから。ここは、そっと相手を気遣った行動をとってあげたいものである。

閉ざされた成長への道

話題を変えよう。ある会社は社員教育に熱心であることを売りにしていた。社内の様子は実際にどうであったのかというと、若手社員は会議に参加させてもらえるが、意見を通すことがほとんどできなかった。代わりにくるのは「君はまだ経験が浅いから分からないかもしれないけど・・・」や「そんなの前例がないよ」などと相手にされない解答である。逆に採用されるのはベテラン社員の意見ばかりである。

若手社員の意見が採用されないのは、単に若手社員が勉強不足であったのが原因なのか。それとも、経験が浅いのが原因なのか。反対に上司の意見が採用されるのは、上司が経験が豊富だからか、会社のことをよくわかっているからなのか。

そもそも「経験が浅いから・・・」という理由だけで若手社員の案を一蹴するのに足るのか。彼が「若手社員だから」と頭の片隅にあるからではないのか。会議は提出された案を出席者で吟味する場である。決まった人だけが案を持ち出すのはあまりよろしくない、と考える。皆で案を持ち寄るとよいだろう。その際に誰の案であるか分からないように、あらかじめ紙に案をプリントして持ち寄ってみるとよい。そうすることで、出席者は余計なしがらみ無しに議論ができる。若手議員が活躍する場面が増えるはずだ。失敗を重ねることだけが成功への道ではない成功体験を積むことも大切である。特に自信を無くさない為には

ここで重要であるのは、「よくない」ことがあったとして、単に若手を叱るのではなく、うまくフォローしてやり、良い点やチャレンジ精神をほめてあげること。「学校じゃあるまいし」と思う方がいるかもしれない。しかし、ネガティブなことを言われて、自信を失くした先にあるものは恐ろしい。

間違い潔癖症

それは間違い潔癖症である。残念ながら、この若手社員は自らの案を通すよりも「無難な」案を思いつくような癖がついてしまう。もう今の彼にクリエイティブさはない。彼はもう「間違えたくない」のだ。

人には褒めて育つ人がいる。裏を返せば、それは怒らないほうが伸びる人である。間違いを恐れていてはチャレンジなどできない。無論、その先の成長もない。人を喜ばせることも少なくなる。魅力的な人でなくなる。

間違いをしたいと思っている人はいない。私たちは心にこのことをしっかりとしまっておきたい。とっさのことで人を怒らないことは難しい。これは高次のテクニックである。ただ、私たちがこのことを心のどこかに置いておくだけで、10回1回でも、水をこぼした相手に悪態をつかなかったとしたら、それは素晴らしいことではないだろうか。

今日も皆さんが幸せでありますように