きょう考えたこと

【ストレスよ】昨日の疲れが今日にくる、には理由がある

うらみわびの【きょう考えたこと】第19回

うつ病などの精神疾患、さらには働いている方、勉学に励む方、様々な方に癒えることであるが、「成果をあげる方法」については考えが及んでいるが、「休む技術」については考えたことがない人も多いのではないだろうか。

休養の2種

心と体の休養

 休む技術とは具体的には、頑張って日頃溜まった疲れ、ストレスを抜く技術のことである。一言に「休む」といっても、「休む」には2種類あると考えている。それは体の休養心の休養である。

 休むこと=体を休めること、これは多くの人が納得していると思う。しかしながら心を休めること、を行っている人はどれほどいるだろうか。

 心を休めること、それは端的には趣味の時間をもつことである。無心になる時間をとることである。疲れを感じるのは我々の脳である。脳は2種類のデータをもとに疲れを感じている、というのが私の持論だ。それは先述している「体」「心」の2種類の疲れ。この2種類の疲れを取らないことには、私たちは疲れが取れた、と感じることができない。休日に休眠を十分にとってもなんだか疲れが取れない、もしくはすぐに疲れてしまう、というのは真の意味において心の休息が十分になされていないからであると考える。

 休みの失敗

 特に精神疾患で休養している人は休養をとる技術が十分にない人が多いのではないだろうか。これは単に精神疾患になる人が愚かである、と言いたいわけではない。むしろ彼ら、彼女らはまじめなのである。まじめ過ぎるのである。まじめ過ぎるがゆえに休めない、ということが多々あるのである。以下に3つみていく。何度も「精神疾患」という言葉を使うのは私自身しんどいので、ここでは以下「まじめな人」と呼んでおくことにする。

 先見性の罠

 まじめな人は常に先を見据えている。目の前の状況を分析し、目標をもって行動する。しかしながら、立てた目標が高すぎる、ということが往々としてある。まじめな人は反省もかかさない。反省するたびに自らのふがいなさに落胆し、次なる目標を立て、自らを追い込む。本当は小さな成功、無難にこなせた項目にも着目しなければならないのであるが・・・。

 まじめな人は何もしないで休む、ということに抵抗を感じる。それはただだらけているだけで、自らがなにも成長できていない、自分は弱い人間である、ということを自認するからである。

したがって、まじめな人は休みの日にも「何かをしなければ」という思いに駆られている。しかし、精神を病むと体のスペックは格段と下がるSwichがゲームボーイになるくらいスペックが下がる。そんな現在の自分と理想の自分との乖離が焦りとなり、焦りが常に頭の半分以上を支配する。もう休むどころではない。過去の自分を取り戻したい。しかし、取り戻すべき過去の自分はほんの数日で取り戻せるような距離にはいない。まずは体力をつけなければならない。であるのに、ぼろぼろの体で自転車をこごうとしているのだ。

自らの身体をコントロールできるのは自分自身である。この意味において私たちは自らの身体のマネジメントを司るマネージャーである、といえる。マネジメントの父と評されるドラッカーはこのようにいう。「過去を見るな。過去ではなく未来のために働く能力と意欲を生み出さなければならない」と。

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つまり、過去は変えることのできないものである。私たちの目の前にあるのは「今」と変えることのできる「未来」の2つである。私たちは前を見据えていなければならない。それこそが救いである。

 生産性の欠陥

 まじめな人は常に自分に目標とノルマを課している。休みにおいてもそれは変わらない。自らが成長することで、休みを有意義なものにしようとする。だから、休みの日にも目標を設定する。例えば、本を100ページ読む。運動を30分する。外に1回は出る。そして目標を達成、継続するために生産性を高めようとする。

 結論から言ってこれは休息の観点からいって危険なことである。なぜなら精神疾患にも癌のようにステージがある。最も精神が病んでいる状態をステージ1とするならば、ステージ1で必要なことはたった一つ。「寝ること」である。

そもそも休みの日には生産性を気にする必要はない。むしろのんびり過ごした方が効率的だ。

 しかし、まじめな人にはこれがとても難しい。何かしないと生きた心地がしない、情けない。寝ることしかしない自分は社会不適合者だと思ってしまう。または、世界には私より苦しんでいる人がいる。それなのにただ寝ているのは怠慢以外の何物でもない。そう考えてしまうのである。

 まじめな人にとって、「なにもしない」ことほど難しいことはない。心がズタボロになっても彼らはなすべきことと真逆のことをしようとする。

 もし、このような状況に陥ったら、まじめな人はどうか目を閉じて、自身の身体に耳を傾けてみた欲しい。きっと、体はだるく、頭はもうろうとしているはずだ。それはまぎれもなくあなたの身体からの「休んで」というメッセージである。このような休息の時間は来るべくしてきたのである。あなたがいままで頑張りすぎてきたから。あなたはきっと自分が頑張ってきたとは思っていない。それは並みの人よりも目標が高いから。あなたは休んでいいのだ。だれもあなたを責める権利はない。あなたのような純粋な人を責める時点で、あなたの誠実さには及ばないのだから。だから外の雑音には耳をかさず、ゆっくり休もう。それはあなたの権利だから

 方向性の問題

 なんとか自分に言い聞かせて休息をとったまじめな人は、体の疲れを癒しつつある。しかし焦りが消えたわけではない。「何もしていない分、自分は成長していない。むしろ社会の流れから取り残されてしまっている、と感じる。まじめな人は常に社会、組織における自分の位置を把握しようと努めている。もし、自らの立ち位置が後退しているなら、すぐに取り戻そうとする

 人生のありようにおいて2つの言い方がある。「明日やろうはバカヤロウ」「明日できることは今日やるな」。この2つは対立した考え方であるが、どちらが正解、というわけではない。個人が自らの性格に合わせて選択していくべき格言である。

 まじめな人は前者の格言を自らに課しがちである。今日の自分に満足していないから、今日できるうちにやってしまおう、というわけである。しかし客観的にみて、本人の身体は悲鳴を上げている。そもそも目標が高いので自らに満足することなどそうそうない。ここは自らが歩み寄る方がよいだろう。今の自分に満足することを知ることである。

仕事の疲れを翌日に持ち込むのには理由があるという。それは当日の仕事の振り返りをしないからだそうだ。1日1分でもいい。他は何もせずに仕事の振り返りをする。そして自分に言い聞かせる。「今日の仕事は終わったんだ」。これで1日の仕事が生産される。そして脳がはじめて休みモードに入る。

ここで最も大切なのは、仕事のノルマが達成できたか、ではない。それは副次的なものでしかない。最重要なのは、自らがベストを尽くしたことを確認すること。そして「仕事は終わった」と自らを納得させることである。ここで、仕事において最大級の敵は「自分」である、ということがわかる。成果を追い求めるところか、自らの要求を満足させようとしているのだ。これは決して悪いことではない。しかしリスクを伴う姿勢である。

そして仕事との向き合い方で大切なのは、やはり「今の自分に満足すること」である。

 まじめな人は向上心が高い。自らの成長に向けて、向くべき方向は合っている。そして毎日1歩でも前に進もうとしている。しかし時には休息も必要である。歩かない日も必要である。これはまじめな人にとっては難しい。もう自分の気持ちをだますしかない

このコロナ禍において、スポーツ選手は待機を余儀なくされている。そんな彼らに求められていることがある。それは心の休養である。ステイホームでいままでのようなトレーニングが行えなくなり、焦りやストレスを感じる選手は当然いる。国際プロサッカー選手会 (FIFPro) によるとコロナによる試合が中止となっているシーズン中、女子選手の22%、男子選手の13%にうつ症状の傾向があるという。(参考記事) そんななかでも前向きにできることを行っている選手もいる。メンタルも含めて選手のポテンシャル。そのような考え方がスポーツ界に浸透していっていると感じる。

さて、まじめな人はこのようなスポーツ界のトップ選手に学ぶべきところは多い、と考える。これはもはや価値観ではない。自らが幸せになるためのテクニックである。

 

 自らを誇る

最後に、休息をとることが苦手なゆえに、精神を病んでしまう人に対して冷ややかな見方をする人がいることは事実である。これは仕方のないことである。そのような人たちにはまじめな人の価値観が分からないからだ。同じ景色でも人によって見方は違う。しかし、自分の見え方と異なっているからといって、どうして他者を非難できようか。

対して私はまじめな人にこう伝えたい。「そんな自分を誇りに思って欲しいと。今の自分は好きになれない人も多いと思う。しかし現在の結果はどうであれ、あなたの向いている方向は決して間違っていない。あなたに足りないのは休息とそのための時間なのだ。これは長い目で見れば筋肉痛のようなものである。挫折から超回復したあなたは何倍も強い。あなたの誠実さにその強靭さが加わればまさに鬼に金棒。周りの人は恐れるに足らず。これはかなり先のビジョンを示したものであるが、本当に辛いなら今はゆっくり休んで欲しい。まずはそこからはじめよう。