うらみわびの【きょう考えたこと】第21回
怒りの正体は
人間だれしも心に怒りを抱えて生きている。怒りは突然発生するものではなく、怒りの源泉が心にはあると私は考えている。というのも、人間があることに対して怒るのは、その出来事自体は単なる怒りのトリガーでしかなく、怒りの原因となったマグマが心のなかでぐつぐつと煮えたぎっているのだ。
つまり、人間は常に何かに対して不満があり、その不満が、ある出来事で爆発するのである。その例として、夫婦喧嘩や店へのクレームが傍からみたら取るに足らない些細なことから発生していることを考えてみてほしい。
夫婦喧嘩や店のクレームの争点ははっきりしているはずだ。でないと、その喧嘩やクレームは単なるデタラメでしかない。しかし、その争点を解決してあげても、夫婦喧嘩やクレームが止むことがない、ということもしばしばである。それはなぜか。
それは、そのような人々の怒りの成分が様々な過去の出来事、不満で構成されており、複雑化しているからだ。したがって、怒る人々を鎮めるのは容易ではない。当事者だけでは手に余る、ともいえる。
海外に目を向けると、アメリカでは黒人男性が白人警官に首を押さえられ死亡した事件を発端に各地でデモが起こった。デモの趣旨は「人種間の平等」だろう。しかし、アメリカ国内では同時に略奪や暴力が横行した。これは、表向きでは「平等」を謳った行為であるが、その内ではこれまでの不満(ここでは、コロナによる経済の停滞、職を失ったこと、家族を失ったこと等、が考えられる)がたまっていたことが見て取れる。
怒りにどう対処するか
怒りは抑えてはいけない。怒りは自然発生するものだ。その流れに逆らってはいけないと考える。エリック・ホッファーは『魂の錬金術』で「ある人々から憎悪を取り除いてみたまえ。彼らは信念なき人間になるだろう」と語っている。怒りは人々の信念の裏返しだ。しかし、それをコントロールしなくてはならない。他者を攻撃した瞬間に、あなたは他者に対して責任を負うことになる。たとえ、あなたがどんなに苦しめられていたとしても。
魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集 [ エリック・ホッファー ] 価格:2,420円 |
私だって怒りがないわけではない。歩行者無視の車があったら、ナンバーを写真に撮って通報してやりたい気持ちに駆られることがある。
しかしそれは正しい行動とは限らない。もし頭の片隅に「正義」という言葉が思い浮かんだのなら、用心したほうが良い。正義は真実を隠す。
その代わり、何が正しいのかを自らが実践することで他者の範となるのである。これは相手を怒りにまかせて説得にかかるよりも理にかなっていると考える。
悲しいかな、こんな話もある。「人間のタイプは3つに大別される。自発的に行動を変えられる人が2割、他人に言われて変えられる人が6割、絶対に変えない人が2割だ」(読売新聞)と話すのが京都大学の依田高典教授だ。
つまるところ、何を言っても直らない人は直らないのである。平易な言葉を用いれば「バカは死んでも直らない」のだ。こう述べるとなんともドライで救いようのないような感が否めないが、そうとも限らない。
すべての人は救える、幸せになるチャンスがある。しかし、アプローチが大切だ。人を害するような人には怒りをぶつけても無駄である。時には距離を置き、突き放すことも大切だ。そして、自らが真の正しいことを実践し、範を示す。根が素直な人であれば、これで気づくはずだ。自ら行動を改める。
もしそれでも行動を改めなければどうするか。それは語らいによってである。これは心理カウンセリングの域だ。テクニックが必要である。素人にとっては寄り添う、というニュアンスだろうか。そもそも問題行動を起こすような人は、そのひとなりの信念をもっているのだろうが、その信念はどこで形成されたのだろうか。それは教育だ。これは性善説であるが、教育が人格の形成に与える影響は無視できない。
ここまでくると、私たちの相手がとても巨大かつ複雑であることに気づく。教育によって形成された悪しき性格はそう簡単には上書きできない。これは力にる足し算ではなく、悪しき過去からの解放という引き算によってなされるべきだ。
ここで肝要なのは、本人が「気づき」によって行動を改めること。気づきが前提になければ意味がない。
話を戻すが、したがって私たちは怒りによって他者の行動を改めさせることは合理的ではない。歯がゆい思いはするだろうが、これだけ他人の行動を変えることは難しいのだ。赤の他人を一喝して得意になっているようでは、あまりにも単純な行為というほかない。
では、私たちはどうしようか。道は二つに一つ。その者から距離を置くか、寄り添うか、だ。そして寄り添うには怒りをできるだけ抑え、その者の過去と向き合う覚悟が必要だ。そして相手が赤の他人であるならば、その行為は見て見ぬふりをするほうがよい場合も出てこよう。そして善悪の目利きのある人たちからは、その人は相手にされなくなる。そこに至ってはじめて本人は自分の性格と自らの過去と向き合うのである。
自らの怒りにどう対処するか
怒りは突発的にやってくる。それは抑えがたいものだ。しかし、ここでみてきたように、怒りの本質がこれまでの不満であることを考慮すると対応が変わってくる。つまり、その場では一旦、頭で考える時間が必要だということだ。無意識のうちに文句が出たり、激高してしまう人は注意してほしい。「自分は本当は何に対して怒っているのか」と。
そして万が一、他愛のないことで相手に起こってしまったときは、まずは自分の心の中で反省しよう。そして相手が家族など、かかわりの深い人であるならば、しかるべき場所でしっかりと詫びをいれたほうがよい。大切なのは常にこれからだ。