きょう考えたこと

黙る人は何を考えているのか

 夫婦喧嘩は平行線

黙る人について考えてみると、私たちが多くが行きつく課題、夫婦喧嘩にも行きつく。怒る妻、何も言わない夫。二人の間には見た目以上の大きな隔たりが存在する。これは主に男女間の価値観や考え方の差異によるところが大きい、と考えている。

  • 男性:理論に基づく議論 → Simple is best
  • 女性:感情の吐露    →すべてを吐き出したい

夫婦間で議論が起こるとき、男性は議論の論点を整理して臨みたい、と考えている。余計なことを離すと議論の軸がずれる、と考えているからだ。

一方、女性は思ったことをすべて吐き出したい、と思っている。吐き出す、という行為、言葉を並べる行為のなかで、女性自らも自分の思いを再確認し、相手にも分かってもらいたい、と思っているのではないだろうか。

残念ながら、この際の女性の言動は男性には理解されていないようだ。その証として、女性が感情的に言葉を並べる行為を男たちは「ヒステリー」と呼ぶ。

 夫婦喧嘩の打開策

男性と女性の異なる価値観のぶつかり合い、それは直接的には解決の糸口を見いだせない。さながら野球のバットでピンポン玉を打つようなものである。では、夫婦喧嘩を収めるにはどうすればよいのか。

一部の男性はそれを心得ている。それが自分から折れることである。ここには2つの背景がある、と私は考えている。

1つ目は、家庭内を外界と隔てて考えている、ということである。一般には、議論をしないこと、ましてや議論を放棄することは良くないこと、だと考えられる。しかし、それは社会一般の話であって家庭内では異なる。本来、家庭とは安らぎの場である。社会通念の縛りから解放される場である。であるならば、なにかにつけて「良い」、「悪い」と議論を呼ぶ必要はなかろう。家族はお互いがお互いの至らない点を認め合いながら暮らしていくべきである。

2つ目は、争点を与えたくない、ということである。女性の感情的な言葉の羅列は決して論理的ではない。話題が跳んでは戻ってきており、トリッキーである。一つの問題の解決には決して行きつかない。男性が話せば話すほど地雷を踏む。男性は根負けしてしまう。男性は女性にかなわないことを悟っているのだ。そこで、彼らはあえて女性と言い争う点を与えないように努める。思ったことを自ら飲み込んでいるのだ。

男性側が折れるのが合理的だろう。これはどうとでも解釈してよい。男の懐の大きさと解してもよいし、諦めと解してもよい。すべての問題を家庭から駆除しようとすると膨大な労力を要するうえに、その後には何も残らない。そもそもお互いの「彼らしさ」、「彼女らしさ」に惚れて結婚したのではなかったのか。

お互いが人間であるがゆえに感情のキャパシティが存在する。これが溢れると感情が爆発するので、その前に排水が必要となる。おすすめは瞑想だ。自分だけの世界、家庭からも隔離された世界に身を置くことで、心身の疲れをとるのである。他にもシャワーをあびたり、散歩に出かけたり、自室に逃げるのも手だ。面と向かって対峙する必要はない。

 家事分担とミニホウレンソウ

一方で、思ったことはお互いが感情的に余裕がある場合に交換したほうがいい。調べてみると、夫婦のトラブルの多くが家事の分担にあるようだ。家事は食事、掃除、洗濯、育児など多岐にわたるため、あらかじめ項目を洗い出すとよい。こうすることで、夫婦間の家事の認識の違いに気づくはずだ。思うに、男性の多くが、女性がどのように家事をこなしているかを理解していない。それが家事の項目数で浮き彫りとなる。夫婦間の家事の認識を擦り合わせることで、はじめて家事を分担することができる。

合わせてお互いが必要最低限のコミュニケーションをとるように心がけるとよいだろう。私はこれをミニホウレンソウと呼んでいる。ホウレンソウとは

の3つの頭文字を合わせたものだが、報連相の徹底が社会ではマナーとして浸透している。家庭にこれをそのまま持ち込むのはそぐわない。しかしながら、出かけて帰りが遅くなる時はあらかじめ連絡する、出費があるときはあらかじめ相談する、などお互いが相手に心配をかけない配慮をすることで争いもなくなるはずだ。

最後に、夫婦が良い関係をつくるためには、お互いの心理状況を把握しあうことが大切だ。一番良いのは、自分が調子がいい・悪いを相手に気兼ねなく言える関係だ。お互いが一番良い状態を目指すだけでなく、調子が悪い時は距離を取ったりと、「健やかなるときも病めるときも」、心だけは傍にいる関係がベストだと考える。

今日も皆さんが幸せでありますように

本が好き!

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